ウソはよくないという倫理観と誰も不幸にしないウソ

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ウソはよくない。

嘘つきは泥棒の始まり。

 

昔から、日本では(いや、多分世界的にもわりと)ウソはよくないということが言われてきたと思う。

 

もちろん、私もその意見には、概ね賛成なのだが、

ある時、ふとこんなことを思ったのである。

 

あれ…?じゃあ、もし誰も不幸にしないウソというものがあったとして、それも問答無用でアウトなのかな、と。

 

ちなみに、ここでいう、誰もとは、他者はもちろん、自分自身のことも含むものとしてお考えいただきたい。

なぜなら、周りを幸せにしようと躍起になった結果、自分だけは不幸になってしまったというのは、割とよくありがちな話だからだ。

 

フィクションという名のウソ

※この物語はフィクションです

よくドラマの冒頭、こんな注意書きを目にすることがある。

 

フィクション…フィクション?

 

辞書を引いてみると

1.想像によって架空の筋や事柄をつくること。仮構。虚構。

2.創作。小説。

 

ということらしいのだが、

この中で、特に2番の”小説”というキーワードが引っかかった。

 

思うに、この小説こそ、私が考える誰も傷つけないウソをまさに具現化したものなのだ。

 

Q:ウソはウソでも誰も傷つけないウソってな~んだ?

そんななぞなぞの答えに認定したいほどである(笑

 

無論、答えが”小説”では、あまりにシュール過ぎて、出題された方は納得できない話だとは思うのだが…。

 

 

ウソ、アカン、なんでや?

 

かつて、マザーテレサが言ったという、こんな言葉がある。

思考に気をつけなさい、それはいつかあなたの言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつかあなたの行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつかあなたの習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつかあなたの性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつかあなたの運命になるから。

 

冒頭の、嘘つきは泥棒の始まり…ということわざから推測するに、

昔の人は、相手を偽ろうという悪い考えが浮かぶ(思考)→ウソをついて相手を欺く(言葉+行動)→相手を欺くことをなんとも思わなくなる(習慣化)→その結果、不穏な性格の人間が出来上がる(性格の形成)→結果、人から相手にされなくなったり、最悪、犯罪に手を染めることになる(運命の決定

ということを、もしかしたら何となくイメージしていたのかもしれない。

 

古今、金言と呼ばれ重用されているものを並べてみると、国や年代は違えども、言っていることが驚くほど似ていてビックリすることが多いけれど、

この二つの言葉も、語る切り口は少し違えど、一事が万事というか、些細なきっかけがやがて大事に発展していくんだぜ的な警鐘を鳴らしている点では同類と言っていいと思う。

 

思考は現実化する。

始まりは思考から。

 

だとすると、ポジティブな思考を出発点として生まれたウソだとしたら、それは、必ずしも悪い結果をもたらすことにはならないのではないだろうか。

 

そして、小説に代表されるようなフィクションこそ、人を楽しませたい!感動させたい!驚かせたい!というような前向きな思考を出発点として作り出される誰も不幸にしないことを目指した壮大なウソだと思うのだが、どうなんだろう。

 

もし、フィクションという言葉の説明欄に

 

フィクション:誰も傷つけないことを目指して作られた壮大なウソ、ホラ話

 

といった注釈が掲載された辞書なんかを見つけちゃった日には、ソッコーで3冊くらい購入して、一つは家宝に、ひとつは自分用に、一つは本棚に観賞用としてディスプレイしておきたいところだが、そんなイカれた…じゃなくてイカした辞書って、どこかに無いかな?(笑

 

 

それでは、また。

 

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