先ごろ、NHK文化センターで行われたというプロゲーマー梅原大吾氏の講演を聴かせていただきて感じたことをいくつか。
本当に好きなことは「好き」で完結していなければならない
以前、このブログでこんな記事を書いたことがあった。
ここでは、内的モチベーションという言い方をしているが、これは言い換えれば、純粋に好きなことに対し、見返りを求めずに取り組んでいる状態ともいえる。
現状、プロゲーマーを目指す若者たちの果たしてどれほどが、純粋に好きという気持ちだけでゲームに取り組めているのだろうか。
これは、言い換えれば、本当に心の底からゲームが好きな人間がどれだけいるのか。
ということでもある。
最近では、ゲーマーにも協会からプロライセンスが発行されるようになり、プロゲーマーを取り巻く外枠が急速に固まっていこうとする中で、安易に飛びつくには手ごろ過ぎる飴がそこかしこに手当たり次第に、まき散らされている感がある。
そうやって釣った若い力を使い大人たちが金儲けに奔る節操のなさもどうかとは思うが、
そこは釣られる側も覚悟の上でのことだろうから、敢えてここでは何も言うまい。
ただ、プロという道など想像もできなかった時代から、いつ終わるとも知れぬ遥かにづづく獣道を、好きという気持ちと情熱だけで駆け抜けてきたこのウメハラという男のもつ気魄に思いをはせるとき、
果たして、その半分でも、彼らに備わっているのかという疑問は拭えないではいる。
とはいえ、オンライン化やe-sports化が進む中、もはやゲームも純粋に好きという気持ちだけでプレイするのが難しい時代になってきているのかもしれない。
まさに、内的モチベーションが、金や名声など、外的なものにとってかわられてしまっている状態だ。
本来は、娯楽として心から楽しむはずの対象を有無を言わさずに序列化し、苦い思いをするプレイヤーが増えることは、ゲーム業界にとって決していいことだとは思えないのだが、いずれにせよ、半端な覚悟と情熱では生き残れないのがプロの道であるのは、ゲーマーとて同じことなのだろう。
特に、自分の好きなことで生きていこうと考えるなら、モチベーションの質が内的なモノから外的なモノへと変化してしまう事のリスクについて、よくよく理解しておくべきだと思う。
「これだったら、金を稼げる、有名になれる、人に褒めてもらえる。
そういうことを考えているんだったら、それはたぶん本当に好きなことじゃない。」
こんな時代だからこそ、
実に耳の痛い言葉だが、しっかりと胸に刻みたいと思う。
先を憂うことなく、今自分が夢中になれることを真剣に
講演の内容で、特に印象的だったのが、
梅原氏がある人から受けたというアドバイスの話。
ある時期からスポンサーの数が急激に増えたという梅原氏。それにともない、
「今あるものを失いたくない、失ってしまったらどうしよう」と
それまで感じたことない不安を抱いていたという。
自分が不幸にならないためにも、今、自分以外のゲーマーに対し自らの影響力を使ってサポートしていく責任があるんじゃないか、そして、業界全体を良くしていくために動いていく必要があるんじゃないか。
そんな悩みを、(すべてではないが)あるインタビューの席でチラと漏らした折、聞き手を務めた方からこんな助言を受けたそうだ。
「梅原さん、それはよくない、その状態のまま行くと危ないよ。自分の力じゃどうにもならないことをどうにかしようとしてる。僕は、今の梅原さんみたいな人を今まで何人も見てきましたよ。」
「それを聞いて、思わずドキッとした」という梅原氏。
そして、その方はさらにこんなアドバイスをくれたのだという。
「僕は、今ライターをやっていて、(ウメハラ氏がインタビューを受けたのは4月)僕の次の仕事はゴールデンウィークですよ。それで、その後の仕事は何にも入ってません。
だけど、僕はこれでずっとやってきた。梅原さんが聞いたら、
『え?そんなので不安にならないの?』って思うかもしれないけど、自分が一生懸命仕事してれば、どこかでそれを見ててくれる人がいて、それで自分を必要としてくれる。
だから、僕は、先のことなんて全然考えてこなかったけど、それでも、特に困ることも無くやってこれてるんです。
だから、梅原さんも、どうしようもない先のことを悩むんじゃなくて、とにかく自分が楽しめること、能力を発揮できることに集中した方が、結果として周りも助かるんじゃないですか?」
その言葉について、家に帰ってからひとり改めて考えたという梅原氏。
その中で、「自分は、ただゲームが好きでずっと取り組んできた」という原点に立ち返り、気持ちがふっと楽になったという。
背負うものが増えれば増えるほど、人は不確定な未来に不安を抱くようになるのかもしれない。それを失ったらどうしよう、と。
しかし、先のことはだれにも分からず、だからこそ、与えられた今を一生懸命に生きる。
自分が夢中で取り組めることにに集中する。その大切さに気づかされたエピソードだった。