好きなことの中にも”メンドクサイ”は存在しますよね?

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よく、好きなことを仕事にしてはいけないということが言われる。

 

一瞬、

 

は?なんでよ?

と思うのだけれど、よくよく考えてみると、納得できる部分も無いわけではない。

 

 

まず、好きなこととは何か?

ということについて、少し詳しく(できれば具体的に)考えて見たいと思う。

 

例えば、食べ物に例えるとわかりやすい。

誰しも、

好きな食べ物は何?

 

と尋ねられて、1つや2つはすぐに思い浮かぶものがあるはずだ。

 

じゃあ、もう1歩進んで、好きな食べ物を食べるという行為はいったいどういうことなのだろうと考えてみる。

 

それは、食べたいときに、食べたいものを食べるということではないだろうか。

 

では、もし仮に、あなたが今満腹で、若干吐き気さえ感じているとしたら、果たして、それ以上食べ物を口にしたいと思うだろうか?

 

おそらく答えはNOなはずだ。

 

そして、それは、いくら好きな食べ物だとしても例外ではあるまい。

 

さて、随分と卑近な例から、ちょっと考えを巡らせてみたが、

上の例えでいうならば、好きなことを仕事にするということは、食欲がない時にも、その食べ物を食べる必要があるという状態に似ている。

 

なぜなら、仕事には、クライアントがいて、締め切りがあり、ノルマが存在するからだ。

 

人は誰しも、気分がすぐれない日や、体調が思わしくない日が存在する。

そんなときに、気分の赴くままに休息を取れればいいのだけれど、仕事となるとなかなかそうもゆかない。

 

野球選手だって、バットを握りたくない日はあるけれど、それで試合に出なければ、メンバーから外されてしまうという現実が待っている。

 

 

じゃあ、嫌いなことを仕事にしても構わないのか?

仕事になれば、どんなことであれ、めんどくさく苦痛に感じるのなら、いっそ全く興味のない分野でテキトーに仕事すれば、いいんじゃないの?

 

そんな風に思う方もおられるかもしれない。

実際、そういう仕事の選び方をし、仕事は仕事と割り切っている方も少なくないだろう。

 

まあ、それもそれで賢い選択だとは思うけれど、正直あまり魅力的ではない。

確かに、ストレスは少ないかもしれないけど、死の間際に自分の人生を振り返ったとき、果たしてそれで十分満足できる人生だったと思えるのだろうか。

 

結局、何かに情熱を傾けて、自分なりに満足のいくひとかどの成果を上げるためには、それが好きなことであれ、嫌いなことであれ、必ずやってくるめんどくささから逃げずに立ち向かわなければならないのではないだろうか?

 

例えば、あるとき、強烈に絵が描きたいという想いが芽生えたとする。

そして、一通り画材をそろえ、いざ描き始めてみたものの、どうも思ったようにうまく描けない。

 

上手く描けないから、当然出来にも満足できないし、だんだん楽しくなくなってくる。

そして、絵を描くこと自体がだんだん億劫になり、最後には、「あ、私は絵を描くことが嫌いだったんだ。」と結論づける。

 

果たして、本当にそうだろうか?

好きなことなら、何一つ壁にぶつかることなく、楽しいだけの時間の果てに納得のいくレベルにまで自分を鍛え上げることが可能なのだろうか?

 

私は、そうではないと思う。

 

いくら才能に恵まれていようと、好きが高じて始めた仕事であろうと、誰にも程度の差はあれ、100%壁は立ちはだかるのだ。

 

そして、その壁を越えた先にしか、望む成果を得られる可能性は見えてこないのだと思う。

 

であるならば、どうせなら、少しでも情熱を傾けたいと思える分野で、その壁に立ち向かいたい。

根っこのところに、”好き”という気持ちがあれば、ちょっとしんどくなっても、折れずに踏みとどまれる気がするからだ。

 

 

 

PS.

壁って乗り越えられそうにない場合でも、迂回してしまえばOKなケースも結構あるみたいですよ?

 

それでは、また。