人生は、ちょっとしんどいくらいがちょどいいかも?という話

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どうも、レボログです。

先日こんな本を紹介しました。

 

それきっかけで、人生について

もっと具体的にいうと、生きること死ぬことについて

少し考えてみることにしました。

レボログ
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というか、自動的に考えるモードになってしまった。

 

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生きてる間は、ちょっとしんどいくらいがちょうどいいかもしれない。

 

そういえば、かなり前の歌ですけど、ポルノグラフィティーの

幸せについて本気出して考えてみた

というのがあったのを思い出します。

 

これまた虚覚えなので、気になる方はググっていただければと思いますが、

その中に確か

幸せについて本気だして考えてみたら、意外に楽はないんだと気づいたんだ

みたいな歌詞があった気がします。

 

まあ、要するに今回の記事の結論はズバリこの1行がすべて言い表してくれていて。

だから、もしこの歌詞1行を読んで、すべてを悟った方は、もうこの先は読まなくて結構です。

 

振り返って思い出すのは、なんか頑張ってた自分

 

そうなんですよね。

たとえば、受験勉強に明け暮れた大学受験時代。

それこそ、

レボログ
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1日10時間勉強するぞ!

 

みたいな無謀な計画を立ててから回ってたのを思い出します(笑)

 

確かに、当時は1日でも早くこの苦行が終わらないかと、まるで地獄の業火に焼かれる罪人のような気分…ってのはウソです。ちょっと盛りました。

 

だけど、とにかくメチャクチャシンどかった。

 

ただ。

当時のことを振り返ってみると、不思議なもので

苦しさだけじゃなく、ある種の充実感みたいなものも感じられるんですよね。

レボログ
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ま、結果的に、ある程度努力が報われたって思いがあるからかもしれないけど。

 

一方で、受験後ぼんやりゲームとかして過ごしてた時期のことを思い出そうとしても

まったく思い出せません。

 

受験生時代は、

レボログ
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よっしゃー、終わったらゲームしまくるぞー!

とかあれほど思ってたのにね。

 

ユートピアは理想郷じゃないかもしれない

 

受験生時代は、勉強から解放されて、ゲーム三昧の日々を送ることはひとつの理想卿のように感じられました。

もしかしたら、それを励みに頑張っていたともいえるかもしれない。

そんでもって、受験後は確かに束の間それなりにゲームを楽しんでもいたはずです。

 

レボログ
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でも、まったく記憶がない…。

さらに奇妙なのは、苦しかったはずの受験生時代の方が、

濃密な時間を生きていたような満足感を伴って思い出されること。

 

レボログ
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人見知りなのに、勇気をもって金髪の講師に質問しに行ったときの緊張感とか…そしてメチャクチャ親切に答えたもらって嬉しかったこととか、昨日のことのように覚えてます。

 

 

もし、ユートピアを定義するのなら、

好きなことを自由にできて、かつ苦しみのない世界

みたいになるのでしょうかね。

 

でも、本当にやりたいことって、

努力してそのための準備をしなければならなかったり、

権利や資格を手に入れなければならなかったり、

あるいは他者の合意や協力を得なければならなかったり…

そのためには、いろんな苦労や苦しみも経験しなければならないはずなのです。

 

もし、苦しみを最小化した世界がユートピアなら、

そこには何かを成し遂げたという喜びも存在しなくなってしまうんじゃないか…ふとそんなことを想いました。

レボログ
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まるで、ゲーム三昧の日々を過ごした私のように。

 

メメント・モリは魔法の言葉

 

私が好きな言葉に、

メメント・モリ(死を思え、自分がいつか死ぬことを忘れるな)

というものがあります。

 

一般的には、明日死んでもいいように、今日を精いっぱい生きよう!

みたいに解釈されることが多いようですが、今回はちょっとだけ違う角度からこの言葉の意味を考えてみたいと思います。

 

生きることと死ぬことは切っても切り離せない

 

どんなにステキな人生を謳歌しても、

最後は病気で苦しんで死ぬことになるかもしれません。

 

そして、死に際しては、

ステキな家族や恋人や仲間とも別れなければならないでしょう。

 

もし、生きてる時間が快適で快適で、

楽しくて楽しくて仕方がないものなら、誰しもそこから退場したくはないのではないでしょうか。

 

その意味で、完璧な人生を手に入れてしまうことは、死に際してそれを失う苦しみを味わうという点で不幸なことかもしれない。

 

一方で、苦しみの多い人生を送ってきた人なら、

死の宣告にちょっと安堵できるかもしれない。

 

(ようやく、この苦しみから解放される、頑張ったな、私)

そう思って自分を褒めてやれるかもしれない。

 

毎日、ちょっとだけ上り坂に挑む感覚で

 

もちろん、自らすすんで不幸になろうってんじゃないですよ?

 

ただ、私の拙い経験から思うのは、

シンドイことの先にしか満足感や達成感もないよね、ということ。

 

これまた不思議なもんで、

人間って、しんどい思いをして手に入れたものほど価値を感じるように思うのですよね。

 

だから、その性質をうまく利用して、

満足感を得るために、毎日ちょっとだけしんどい坂を上ってみることを習慣化していけばいい人生が開けていく、そんな気もします。

 

しかも、もし、その状態で死を宣告されたとしても…

レボログ
レボログ

ああ…ようやくこのシンドイ日々から解放されるのか…。

というホッとした気分も味わせて一挙両得。

 

つまり、自ら選んだしんどさを抱えて生きることは、生と死の両面からプラスなんですよね。

 

G三
G三

生きてる間は、しんどさの先に待ってる達成感を味わえ、

死に際しては、そこから解放される安堵も味わえる…なるほどのう。

 

 

まとめると、

メメント・モリで、目標感を持ちつつ、毎日ちょっとだけシンドイことをやろう

これがいい人生(生きることと死ぬこと)を全うする方法なんじゃないかと思ったという話でした。

 

それでは、また。