だいぶ前に、ジャズの演奏会で中学生が有名なトランペット奏者に舞台上でぶん殴られてワイドショーに取り上げられたことがあった。
別に、殴んなくったって。
もっと別の指導方法があるだろうに。
当時、私もそんな風に殴ったことを問題視していた気がする。
ただ、この映画を見終えた今となっては、
ちょっと殴ったプロの方の気持ちというか、パッションというか。
「ああ、こういうことだったのか。」
というものを受け取ってしまったようで、どうも具合が悪い。

喧嘩じゃないから両成敗というわけにも。
ただ最高の音楽を奏でたい!そんだけ!
「今まさに最高の音楽が生まれるかもしれねえんだよ、
そんなときに、体罰がダメとかどうとか、そんなこと言ってる余裕なんてねえんだバカ野郎!」
この映画『セッション』では、
そんなクレイジーで才能あふれる音楽野郎たちの真剣勝負が描かれている。その情熱は一言で言うと狂気(クレイジー)。
ーーーーーーーー(注意)ここからちょっとネタバレーーーーーーーーーーー
冒頭から、いきなり鬼教師によるビンタが炸裂。
ナイーブそうな青年は、それに対し
(親父にも打たれたことないのに…)
と思わず涙する。
ーーーーーーネタばれここまでーーーーーーーーーー
もちろん、体罰はだめですよ。
ダメなんですけど、
でもね、頭ごなし、条件反射的に体罰に拒否反応を示すあなたは、
この映画の鬼教師フレッチャーさんくらい真剣に音楽と向き合ったことがあるのかって話です。
真剣だから、いい加減なことをされると許せない。激情家ゆえに思わず手も出てしまう。
それって、真剣勝負の場ではあり得ることなんじゃないかと。
生徒だって、
「この野郎!殴りやがって!」
という怒りをグッとこらえながら
殴った相手を見返すべく、必死に練習する。
そんなハングリーな現場から生まれる才能もあると思うのです。
逆に言えば、そういうタフな環境でしか咲かない大輪の花だってある。
20世紀最高の音楽家といわれるチャーリー・パーカーも
人前でコケにされ大恥をかいた経験をバネに死ぬほど練習して
1年後には、ジャズ史に残る最高のソロを奏でたといいます。
グッジョブbは才能をダメにする最悪の言葉
これは、映画でフレッチャーさんの残した名言。
もちろん、これは、なんでもかんでもほめて伸ばそう。
あるいは、

体罰ダメ!厳しい教え方ダメ!ゼッタイ!
という現代への皮肉でしょう。
成功か幸福か…あなたならどちらを選ぶ?
という2択を迫られて、即答で

成功!
と答えちゃう人たちがこの映画の主人公です。
音楽家として成功するためなら、
恋人や家族と過ごす時間も犠牲にすることを厭(いと)わないような。
ゆえに、
この映画の主要人物に世間の物差しでハッピーと断定できる登場人物は存在しない。
基本、みんな不幸。
それは音楽にすべてをささげ、あらゆるものを犠牲にしているという点において。
そして、己の才能と努力だけが拠り所の孤独な人間であるという点において。
しかし、一方で彼らには命をかけて打ち込む対象=音楽がある。
その点において、いかなる憎しみも、裏切りも孤独も、すべてを打ち消す希望を持ちうるという点においてこの上なく幸福な人間の物語でもある。
スポーツでも、
音楽の世界でも、超一流ともなれば、実力だけがものを言う世界なのはいうまでもないでしょう。
そこに温情なんてものは一切存在しない。
昨日の友は明日の敵であり、信じられるのは己のみ。
しかし、そういう修羅のような世界で勝ち抜いたものだけが舞台に上がることを許される。
これは、そんな99%の人にとっての非日常を描いた物語です。
それゆえ、まさに極上のエンターテイメントなのです。
体罰はもちろん反対…だけど
世論におもねるわけでもなんでもなく、
私自身、超がつく体罰反対派。
だって、殴らないと物が伝えられないなんて、それだけで芸がないと思うし。
なにより教師としての器量が足りないと思う。
生徒の側だったら、映画の青年じゃないけど
「オヤジにもぶたれたことないのに!」
てな感じで理不尽な怒りに打ち震えること請け合いだし。
というか私だったら、ショックで音楽辞めちゃう可能性が高いと思う。
でも、作中でフレッチャー(例の教師)が言ってたように、
なんでもかんでも、やさしく
グッジョブbと誉めそやすことで、
チャーリーパーカーのような不世出の大天才が生まれることがなくなってしまうとしたら。
もちろん、近しい人たちからしたら迷惑極まりない話だとは思うけど、
一流の芸術家は一癖あるのがディフォ(初期設定)というか。
ピカソが超がつくほど女癖が悪かったり。あ、ゴッホもか。
周囲の人にとっては迷惑な変人だけど、
変人だからこそ、人類史に残るような偉大な作品を残すことができたりもする。
人類への功績で言ったら、超絶プラスなんだろな。浮気や暴力なんて些細なことと思えるくらいに。ただ、そんな人が自分の家族だったら絶対イヤだけどw
レボログ的には、
この映画は、そんなふうに、
人類にとっては価値あるものを残せるかもしれない才能を持って生まれた野郎どもが、戦いを繰り広げてる現場をドキュメントタッチで切り取った作品だなーと受け取りました。
だから刺激的な非日常バトルを観られてちょっとドキドキが止まらない。

特に、あのラストは…。
もちろん、暴力も憎しみも好きくないですよ。
でも、あれだけ音楽に真剣に向き合う者同士の間でのそれは、常人の理解の外側って気もするのです。肯定もできないけど、即否定もできない感じ。
結局、外野がとやかく言っても仕方ない
この映画とからめて、体罰問題について改めて考えてみると、
体罰を問題視してるのって、
ほぼほぼ無関係な外野の人たちってパターンが多い気がする。

ワイドショーのコメンテーターなんてまさにそうでしょう。
たとえば、
この映画のように、
最高の音楽家を生み出すべく、死に物狂いで指導する教師がいたとして
その情熱のあまり、つい手が出てしまったとしてもその時点で指導者失格と短絡的に決めつけてよいものか…。
少なくとも、そんなもん些末(さまつ)なことだと思えるくらいの真剣勝負を繰り広げてるヤツらを前にして、ロクに事情も知らない外野がとやかく言えることじゃないよね。
むしろ、偉大なものが生まれようとしている現場に水を差すという意味で罪だよね。
というのが映画製作者が伝えたかったメッセージなのかな?とか思うし。
つまり、
体罰否定派の私が観てもそう感じてしまうほど、
ドラムにすべてをかけて打ち込む生徒と教師のセッション…いやセッションというにはあまりに激しいバトル…には映画にも関わらずライブを見ているかのような切迫した緊張感があった、ということなのです。
特にラストシーンは…

やられた!
って感じでムカつくけど格好良すぎじゃねえか。
余談:もし、彼らのような生き方を選べと言われたら…
正直NOです、私はNO。
ただ、不幸にも類まれな才能を持って生まれてしまったら、
その才能に突き動かされる感じで、ああなっちゃうのかな、平穏で凡庸な人生はムリなのかな…とか思う。その辺は、私の手持ちではなんともはかりかねますね。
ネタバレ:圧巻のラスト:音楽の前には真摯たれ
映画のラスト。
ドラマーの青年が元・教師の指揮者の静止を振り切って自分の思うがままに演奏を始めるシーン。
映画では、その演奏がよかったのか、クソだったのかには触れられていないが、
元・教師はそれを止めることなく、微笑みながら見守り、最後にはアシストするように指揮をとり始める。
美しい音楽の前では、常に真摯であること。
偉大な音楽が生まれる現場では、個人的な感情なんて無意味。
そんな純粋さと誠実さを見せられたら、
多少の暴力すら情熱の発露として許容できる気がしてしまう。
う~ん、なんとも危険な映画だ。
そう考えると、
冒頭のトランぺッターの方も、暴走した中学生ドラマーを前に演奏を黙って見守ればよかったのに…。そんな風にも感じる。あ、でも黙って見守るほどの演奏じゃなかったのかもな。
この映画を評して、強烈なエゴのぶつかり合いを描いた映画
という人がいたけれど、私の受けた印象はちょっと違った。
なんというか、それ以上なんですよね。
自分がこんな音楽をつくりたいから、他のやつは蹴落としてやれ!犠牲にしてもかまわない!
というのがエゴだとするなら、
自分すら、最高の音楽を生み出すために生贄(いけにえ)としてささげている。
音楽の奴隷。そんな感じ。
ある種の才能をもった人たちが音楽という人間以上の偉大な何かにとらわれて。
いわゆる天才ゆえの業みたいなものか。
彼らからは、クレイジーな情熱は感じられるけど、不思議と

金儲けしてやる!有名になってやる!
的なエゴは感じられなかった。
要するに、エゴを超えた世界の話なんですよね。
音楽のために、エゴさえも捨ててまさに音楽に使役されてるみたいな感じ。
イイ風にいえば音楽に選ばれし者たちってやつ?
それをふまえて、昨今の体罰問題を眺めてみると、
この映画でいうところの音楽、
つまり偉大な目的よりも個人的な遺恨とか怒りの感情を吐き出したいエゴを優先させちゃってる感じが幼稚っぽくて嫌なんだなーと気づかされました。
99.9パーの人にとって体罰はやっぱダメ
もし、万が一体罰が肯定されうる世界があるとしたら、それは暴力がそれを超えた偉大な目的のために行使される、そんな世界だけでしょう。
そして、そこには体罰…てかビンタとかね。
そんなもん、気にしねえ!今それどころじゃねえんだ。
そんな風に、暴力を力に変えて突っ走るようなタフな若者が不可欠。
情熱ある指導者と、
暴力をものともしないで夢をつかもうと必死な生徒。
その両者が了解の上でなら、体罰は唯一肯定されうるのかな、少なくとも第三者が口を挟むことじゃない。そんな気もします。
何て書いてるこの瞬間にも、パッションを持った教師と生徒のセッション(バトル)がこの世界のどこかで繰り広げられているのかな、いつか生まれる偉大な作品のために。
そんな妄想も捗(はかど)る、ステキで狂った映画でした。おススメ。