ということが保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』
という本に書いてあった。
これはいいやと思いさっそく書いてみようかと思案。
3枚、というと原稿用紙のことだろうから400字詰めで1200字。
まあ、適当なブログなら15分もあれば書けてしまう分量だが、小説となると、話し言葉をただ感覚的に羅列しただけでは足りず、当然、”てにをは”にこだわったり、文体にこだわったり、書き出しはどうするか…などといった悩みも加わるだろうから、それはそれは、筆が遅くなって当然である。
今まで、毎日机に向かう事を10年続ければ作家になれる。
といった類の都市伝説はいくつかの本で目にしたことがあった。
しかし、この本では、
毎日2時間で3枚書く。
それで200枚くらいの小説なら下書きに2か月、推敲と清書に1か月として3か月で書けてしまう、という具体的な数値目標(目安)が示されている点がおもしろい。
また、
「もし、2時間で3枚書けないとしたら、それは本当に書きたいことを書いていないか、もしくはすでに書きすぎているかのどちらか」と断定している点もおもしろい。
おもしろい、おもしろいばかり言ってねえでもう少しバリエーションのある言葉を使えと自分でも思うのだが、このリフレインが何となく気に入ったので仕方がない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
というちゃぶ台返しのようなこの言葉は、あまり多用すると癖になるからほどほどにしておこう。
10年机に向かえば必ず誰でもきっと作家になれる。
という言葉と、
2時間で3枚。
この二つを重ね合わせて考えると、
一日2時間とりあえず机に向かって3枚書くことを目指す。
そして、もし3枚書けない日には、先ほどのいずれかのことが原因だろうと推して、本を読んだり、映画をみたり散歩をしたりといった充填にあてる。
ただ、それでも、取りあえず机に座り、自分自身に向かって
「今日も3枚書くぞ!」
と宣言しなければ、その日が書ける日なのかそうでないのかは分からないのだから、やはり、毎日机に座ることは大事なのである。
さて、今私が何となく書いている小説とも呼べない作文は、本当に私が書きたいものなのだろうか?
もちろん、上手い下手は置いておいてだ。
絵でもなんでも、求める理想が高すぎると、自分の下手さ加減に嫌気がさして描くのやめてしまう。最初から、そんな出来過ぎた絵なんて描けるはずもないのに。
だから、下手でもいいから描きたいモチーフに向かうこと。
とはいうものの、上手く書けるかどうかということは、書きたいことを書いているという実感と切っても切り離せないものだろうから、
下手くそだけど、俺は今自分が書きたいものを書いているぞ!
という手ごたえを感じられる、という状況もよくよく考えるとよくわからない。
おそらく、その小説が生み出される頃には、
作者の中で、すでにそのテーマとそこに宛がわれる文体というのは、ある程度洗練された形で仕上がっていて、あとは具現化されるのを待つだけの状態まで達しているのだろう、と推察する。
逆に言うと、それが職業作家たりえる人の資質なのかもしれない。
まったくの無から作品が急に生まれることはない。
作品が生み出されるとしたら、そこにはすでに常日頃から、
温めてきたテーマがあるはずなのだ。