鯖缶を持って外に飛び出したのは、この人生で何度目のことだろう。
だけど、さっきまで私の部屋にかすかに届いていた鳴き声は、
外に出たとたん、聞こえなくなってしまった。
警戒しているのだろうか?
あの猫には、ちゃんと飼い主がいて、ちょっと外に遊びに出ただけだったらいい。
でも、もしあの猫が野良猫で、しかもまだ年端もいかない子猫だったとしたら…。
自分ではわけもわからず、ただただ寒い場所に放り出されて、凍えそうになりながら、空腹に耐えながら、最後の力を振り絞って鳴いているのだとしたら…。
そう思うと、温かい部屋の中で、いろんな言い訳を並べては、その鳴き声に応えようとしない自分が、ものすごく卑怯な人間のように思えてくる。
「野良猫は、減らさなければならないから、それが回りまわって、ネコたちのためだから。」
「ずっと、餌を与え続けるわけには…ましてや、その猫を飼うわけにはいかないでしょ?
だったら、ぬか喜びさせるのは偽善でしかないんじゃない?」
もう一人の自分は、そんな言葉を、いつも私にそっと投げかける。
諭すように、したり顔で。
だけど、子猫は、子猫だ。
きっと自分が野良猫だなんて思っていない。
ただ、寒くて、お腹が空いているのだ。
そして、もし、今夜一晩だけでも空腹を満たせるのなら、少しだけでも幸福な、満ち足りた気持ちになって、安らかな眠りにつけるんじゃないのか。
スポンサードリンク
確か、聞いた話では、野良猫の平均寿命は3年くらいだそう。
たった3年…。
もし、鳴いていたあの猫が野良猫なのだとしたら、
その猫にとって、一日はとてもかけがえのないものなんじゃないのか。
一日でも生き永らえることができたら、それは何か意味のあることなんじゃないのか。
そして、その命をわずかでも支えることができるのにしないのだとしたら、
目の前の小さな命にさえ、手を差し伸べることができないのだとしたら、
私が生きてきたこれまでの時間は、学んできたことは、すべてガラクタみたいに価値のないものなんじゃないか。
そんな思いが、頭の中を巡り巡ると、もはや、居ても立ってもいられず、外へと飛び出すしかなくなるのである。
幸い、今夜はそれほど寒くない。息も白くならない。
でも、それは防寒着を着込んだ私の肌感覚でしかない。
何も着ていない、しかも、それが痩せた子猫だったら、どう感じるのだろう。
きっと、寒いに違いない。私なんかより、ずっとずっと、寒いに違いない。
たとえば、人生という名の、私に与えられた時間の中で、一つでも、わずかでも命を救うことができたら、いや、せめて救おうと、”ちゃんと”動くことができたら、
一つの命として、最低限やることはやったと、どこかでそう思える気がする。
もちろん、それは死ぬときになってみなければわからないけれど、
ただ、もし、小さな鳴き声に対して、言い訳を並べて無視するようなマネをしたら、
たとえ、そのあと、
どれほどの善行を積もうと、それはずっと、心のどこかに引っかかったままになる気がする。
きっと、後悔って、そんな些細な出来事に対するものだったりするのだろう。
だから、もう後悔したくないから、
ネコの鳴き声を耳にするたび、私は鯖缶を持って部屋を飛び出す。