日清カップヌードルのアオハルCMは本当にセンスがないなと思いました。

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ちょっと前のCMですけど、コレ、皆さんは、ご覧になりました?

 

私は、ムリでした

なんとなくチラ見して、それが魔女の宅急便をモチーフにした現代の恋愛劇だと理解した段階で、体が拒否反応を示したため、速やかにテレビの電源をオフりました。

こんな恐怖と不快感を感じたCMは久々。ハッキリ言って、それくらいヒドイ。

 

昔から、日清のCMはセンスがいいなと感じていたのですが(FREEDOM編とか)、それだけに、今回のCMのコンセプトには、ただただ残念さと怒りがこみあげてくる。

 

もちろん、ね、

あくまで、もしもキキが日本の高校生だったら…みたいな妄想の話というのは分かるんです。でも、それでも、それはあくまで個人の妄想でとどめておくべきもので、映像化してテレビCMとして、誰もが目にする形で流したら完全にアウトでしょうよと。

まあ、100歩譲って、パロディとして実写化するならいざ知らず、アニメ化したのはマズかったと思いますね。ファンが侮辱されたと感じるのも無理はないです。

 

 

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極めつけは、サザエさん編。

 

 

他のパロディが、原作の主人公が成長した未来の話として描かれてるのに対し、これだけは、サザエさんとマスオさんの高校時代の話、つまり過去のエピソードという形で描かれています。

これは、未来的ifなストーリーではなく、完全に過去の改ざんですから、そういう意味でも問題アリな気がしますね。

そりゃあ、もちろん、過去にこういうことはあったのかもしれないけれど…。

でも、サザエさんってそもそも日曜の夕方に家族そろって安心して見られる国民的なアニメなわけでしょう?

恋だとか愛だとか、そうい浮ついたテーマには触れずに、日常の何気ない出来事を丁寧に丁寧に描き続けて今に至るのに、それを、なんというか、受け狙いの思い付きみたいなちゃちな恋愛劇で汚してほしくはなかった。

 

サザエさんと日曜の家族団らんは、もはや日本人のDNAの中にセットで刻まれているレベルなのですよ(笑

だから、たとえ張りぼてでも、着ぐるみでも、サザエさんとマスオさんが顔を赤らめながら見つめ合う絵なんて、誰も見たくないわけです。少なくとも私は、絶対に!見たくなかった。

 

サザエさんの合間にこのCMが流れてきたと考えたら、もう悪夢でしかないですよ。

 

そもそも、恋だとか愛だとか青春だとかっていうテーマは、構造的に確実に誰かを不幸にします。

だって、フラれた直後に、誰かの恋愛が成就した話なんて聞きたくないでしょう。

あるいは、万年おひとり様の方にしても、正直、他人事としか思えなくて、目にするたびに、薄っすらと不快なだけなんじゃないだろうか。

そういうテーマを、若手クリエイターがオリジナルのアニメーション短編としてCM化するのは自由だと思うんですけど、なにもわざわざ名作のパロディとしてアニメ化する必要があったのでしょうか…。あらためて、私的にはどれも完全にナシですね。

 

魔女の宅急便にしても、ハイジにしても、サザエさんにしても、

どの作品も、そんな下世話なレベルで物語を描いていないというのは、ファンなら誰しも分かること。

圧倒的に多くの人を優しく包摂し、癒し、励ましてくれた作品だからこその名作なのであって、それなのに、その”ガワ”だけマネて、おふざけをされたら、もうたまったもんじゃない。

愛だの恋だのといった若者偏重の狭小なテーマは、他所でやってくれればいいんです。

さすがに今回は、日清さんも踏み込むフィールドを違えたと思いますね。

 

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そもそも、誰に向けたCMなのか

 

まず、今青春真っただ中にいる10代の子たちにしてみたら、どれも生まれる前の作品だし、まったくピンとこないんじゃないかという気がします。

そして、私のように、比較的タイムリーにこれらの作品に触れた世代にとっては、子供の頃の思い出を汚されたようで、ただただ不愉快ときている。

 

となると、いったいこのCMは誰に向けて打たれたものなのか、ちょっとよく分からない。

まさに、このCMで描かれたような、絵に描いたような恋愛真っ最中のいわゆる”リア充”をピンポイントで狙い撃ちしたもの…そういう理解でよろしいんでしょうか(笑?

 

恋愛とカップヌードル、青春とカップヌードル…そんなイメージって世間的にはどうなんでしょう。

 

青春は、汗と涙でしょっぱい、でも、カップヌードルは美味い…。

 

 

カップヌードルと青春の関係って、どこかそんな感じがしていたのだけれど、時代は変わったのかなあ…。