書くために読むのか?読むために書くのか?

最近、本を1冊よむたびにブログに何か記録を残さなければならないという義務感のようなものを感じ始めてきて、純粋に本を読むことを楽しめていない自分に気づいた。

これは、マズイ・・・。

本来、本を読むことは、それだけで100パーセント完結していいものだと思う。

最高の物語に出会えた喜びは何物にも代えがたいし、心に残るフレーズは、いつまでも自分の中に残り、ふとしたタイミングで自分を支える力となる。

ただ、そこで感じた気持ちの揺らぎや、ベタな言い方をすれば感動なんかを誰かに伝えたいというか、いても立ってもいられない、周りにこの気持ちを共有してくれそうな人もいないし、だって夜中だし(笑

とかなんとか思っている静まりかえった夜に、ひとり静かにパソコンの画面を開き、キーを叩くことになるわけである。あ、もちろん、昼間叩くこともあります。



誰に見止められなくてもいい。

ただ、整理のつかない感情を言語化したいだけ。

そんな風に始めて、それなりに満足のいくレベルで自分の感情の出どころだとか、ヒリついた気分の正体の一部でも垣間見ることができたら、それで十分満足なわけである。

ましてや、誰かがそれを気に入ってくれたら、それは望外ののぞみだとか・・・だとか?

いずれにせよ、最近はどうも、近くにメモするものがないと安心して本を読めないような状態で、それはつまり書くことを前提に読んでいるからなわけだけど、

それって、読書をする姿勢としては健全でないというか、無邪気でないというか。

確かに、何もメモらず、ざーと読んで何も残りませんで、書くこともありませんでしたってのも、ある種のリスクではあるけれど、それって、結局自分にとってそんなに響かない本だったか、あるいは今のレベルでは理解できない内容だったか、読むタイミングじゃなかったか。

とにかく、そんな本について半ば義務感にかられた形で書評めいたものを書いても、何の役にも立たないというか、もちろん自分自身にとってもね。

それだったら、書く意識はいったん置いといて、

まあ、少なくとも、読みながらイチイチメモったりしないで、熱中して読んでみて、そのうえで読んだ後に、印象に残った箇所を、表現は正確でなくても書き綴った方が、まだ何か意味のある作文になる気がする。

まぁ、形から整えていくとすぐにつまらなくなるからね、とりあえず野放図にやってみますよ。