【守破離】師匠を超えるための6ステップの内容が興味深い件

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新しく物事を習得しようとするとき、だいたいが師匠となる人物を見つけて模倣するなり、教えを請うなりすると思う。

 

とはいえ、いつまでも猿真似のままではいたくない。

とはいえ、学びきる前に我流を入れてはそもそも形がグジャグジャでロクなもんにならないし。

 

とはいえ、いつかは師匠を超えることを目標に、ってときに役立ちそうな考え方が紹介されていました。

 

 

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正直、守破離と3文字でいわれても…

 

レボログ
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よくわからん

 

あ、

ちなみにこの6ステップ

もともとは、『太平洋文明の興亡』という本の中で詩人が師匠から独立する方法として紹介されていたそうな。

 

で具体的に守破離って何をどうするんですか?

 

レボログ
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守はまあいいよ、言われた教えをしっかり実行する段階だから。

 

じゃあ、破るって何を破るのさ?

教えを?それとも殻的な何かを?

 

レボログ
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あ、この辺は調べればわかることだと思うのでマジレスは勘弁で、あくまで勝手に予想して楽しんでるのです

 

となったときに、とくに、破と離についての具体的なプロセス(方法論)を示してもらえたら

自分が今いる段階もわかりやすくて便利っ砂。

 

最後は、愛だよね

 

※ここでは、あえて先ほど紹介した記事の具体的な内容には触れません。興味ある方はぜひご一読ください。

 

このプロセスの気に入ったところ、

それは最後に師をリスペクトして帰還となること。

 

 

レボログ
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守破離っていうと、最期は独り立ちして離れてくって感じでしょ?

それって、なんか切ないよね

 

 

まあ、道中では、師を細切れに切り刻んでみたり(断片化)、

師を悪魔とみなして敵意を向けてみたり(悪魔化)、

 

いろいろとメンヘラムーブを駆使してダンジョンを突き進んでいくわけですけど…

おい、大分解釈がおかしなことになってんぞ

 

 

レボログ
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いいのですよ、終わりよければすべてよしっていうじゃないか

 

 

まあ、そんなこんなで、最後に勇者なのか、王なのか、鼠小僧(なんで?)

よくわからないけど、無事6つのステージをクリアできたならめでたく師匠越えを果たせるわけですね。

 

茶道だったり武道だったり

 

日本での伝統的な芸事や職人の世界って、師匠は多くを語らず、弟子は見て覚えろって世界が多い気がします。

 

そのまどろっこしさや、めんどくささも含めて修行ってことになるのかもしれないけど、

 

まえにホリエモンが言ってたように、

修行は時間の無駄だという意見も、今の時代の空気感を反映してる一理ありそうなやつ。

 

 

まあ、年月を経て残っている伝統にはたとえ言語化できなくても、なにがしかの意味や価値がある

(から残っている)とは思うのだけれど…

 

 

レボログ
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自分の中で腑に落ちない、あるいは道筋が見えないまま試行錯誤、暗中模索するのはツライですよね。

 

そんなとき、上達の最終目標を師匠を超えることに置くとして、

具体的にその手順(ロードマップ)を頭に入れておけば、今自分がどの段階にあるのか、ふとした瞬間に確認出来て便利なのではないかと思うのでした。

 

 

とりま

教わった相手に対しては最後まで一定の感謝と敬意をもって接する人が好きだし、ボクもそうありたいとは思ってます。

 

でっわ~