小児がんだったボク、という世界線

エッセイのようななにか

先日、平坦で困難な日常からある世界線を越えて別の物語へと移行した。

 

そこで、ボクは小児がんの少年だった。

 

子供だから難しい周囲の状況はわからなかったけど、

 

自分が小児がんと呼ばれる病気で、

余命幾ばくもないということは理解していた。

 

そうでなくても、シンプルに呼吸が苦しい、常に気管支系が痛痒いような感覚。

咳をするたびにベットから見える景色がゆがむ。

自分が、悲劇の主人公であると想像した。

 

 

自分の命がもうわずかであると知って一番悲しかったのは、

 

両親と過ごす時間がなくなってしまうということだった。

 

本来なら、父や母がおじいちゃんやおばあちゃんになって、最期の時を迎えるのを看取るはずの自分が、あとわずかで先に看取られることになると思うとたまらなく胸が締め付けられ、同時に叫びたさで胸が爆発しそうだった。

 

ただ、体は正直で、そんなことするな、命が縮むだけだ、と冷静に告げていた。

 

 

また、下世話な話をすると、自分は童貞のまま死んでいくのか…というのも

冗談ではなくまじめに悔いが残りそうな事柄で、

 

特に弱気だったある夜、

 

『俺、童貞のまま死にたくないな…』と母に打ち明けそうになり慌てて言葉を飲み込んだ。

陰で泣いてはやつれていく母にそんなことはとても言えない。

 

人は死ぬまで大切な人への気遣いとむき出しの本心との間で苛(さいな)まれるのだと思った。

 

 

 

突然、現実に引き戻された。

 

世界線が崩壊し見慣れた世界に戻ってきて最初に感じたのは、

 

いかに自分が恵まれた境遇にいるかということ。

日常感じる悩みなど、いかにとるに足らないものかということ。

 

そして、本当に自分にとって大切なものが何かということ。

 

 

人は失ってみなければ、本当に大切なものに気づくことはできないという。

 

ただ、ごく稀に、その存在に気付かせてくれる出来事というのが起こるものだ。