「ゆっくり、いそげ」という本の中に「被災地応援ファンド」
という話が出てきて、震災によって多くのものを失った東北の水産業者、酒蔵、醤油屋、食品会社など地元の企業をサポートする動きがあったのだといいます。
廃業を選択してもおかしくはない状況の中、必死に再建を目指す姿が人々の心を動かし、2万9千人ものひとから集めた延べ10億8000万円にものぼる出資金が被災地の企業に届けられたのだそう。
期待利回りマイナス50%の金融商品に2万9千人もの人が出資したわけ
被災地応援ファンドの仕組みを簡単に説明すると、
このファンドでは、1口あたりの出資金が10000円(他に手数料が500円)。
このうち5000円は「応援金」として事業者に寄付されます。
そして、残りの5000円は出資金となり、事業の進捗状況に合わせて5年~10年でリターンが決まるという「半分寄付、半分出資」のしくみ。
つまり、出資金の半分は最初から出資を受ける相手に無償で提供するという期待利回りマイナス50%スタートの金融商品です。
もし仮に、被災した事業者を応援しよう!という旗じるしがなかったら、おそらく3万人近い人が出資するということはなかったのではないでしょうか。
だって、最初から出資金の半分損するんですもん💦
そんな金融商品、一般的な投資家は見向きもしない。

ただし、それはあくまで数値化できる利益を考えれば…の話。
お分かりの通り、震災の時は、世界中から多くの義援金が被災者に届けられました。
このファンドプロジェクトも、その一環として考えればこれだけの金額が集まったのにもある程度、納得がいきます。
それは多くの人が自然に抱く感情だと思うのです。
つまり、人間の良心的な部分によって出資金が集まったというのがボクが考えた1つ目の理由。
ただ、恥を忍んで投資家目線でもう少し打算的なというか、リターン重視で考えてみたら
また別の側面も見えてきて…
人生で本当に価値あるリターンってなんだろう
人生で最も価値ある投資案件って何だろう…。
お金の増え方を最大化するもの…?
人脈づくりでいろんな業界の人とつながること?
ま、それらも魅力的ではあるけれど、ボクが一番魅力を感じるものがあるとすればそれは
という心強い仲間を最大化できる投資です。
その意味で、被災地応援ファンドは、ボクが見た投資物件の中でも指折りにリターンが魅力的なものでした。
よく、
「自分がピンチのとき、逆境に立たされた時にも離れず力を貸してくれる人こそ本当の仲間であり友人だ」
ということが言われますよね。

ホント、その通りだと思います。
じゃあ、どうすればそんな仲間や友人を作ることができるのか・・。
答えられる人…いますか?
より確実なのは困っている人を先に助けること
身近な例を出せばキリがないけど、
たとえば、挨拶しても無視されたり、
仕事を手伝ってあげても、あいつはお人よしだからwで済まされたり。
10年間100万円の定期預金をしても返ってくるお金は1000円だったり。

…ふざけんな…って思うことがなんと多い世の中か…
ただ、現実に唾はいても自分に返ってくるだけなんで気持ちを切り替えつつ、
では、できるだけ高い確率で困ったときに手を差し伸べてくれる相手を見つける、つくる、そんな相手とつながる方法はないかと考えたときに、
やっぱりすぐに浮かんでくるのは、まず自分から率先して困っている人を助けることではないか、と思うのです。
もちろん、相手に返礼を期待しちゃだめ、お礼を期待して親切することほどアカンものはないって、さんまさんも言ってましたし。
とはいえ、いきなり手のひらを反すようですけど、
人は困っているときほど、差し伸べられた親切に深く感謝する生き物だと信じています。
返礼性というか多分原始の時代から群れから爪はじきにされず生き延びるためにそういう本能のようなものが備わっている…気がする。
だからこそ、本当に困っている人を助けることこそ、将来自分が本当に困ったときに支えてもらえる安心感への投資になるのではないかと。

それってお金じゃ買えないですよね
まさに情けは人のためならずという。
その点、被災地応援ファンドのような仕組みは、半分人助けとはいえ、半分はガッツリ投資案件。
いや、むしろ半分の資金で顔の見える形で明確に私は事業者を助けるぞ!
という善意の表明ができる点がすごく魅力的だなーと思う。
打算で付き合うだけの関係はどこかで瓦解しやすいもの。
その点、善意的な部分が加味された投資なら、
ほかの投資にはないドライでなくいい意味でウェットなつながりが生まれるのではないかと注目しています。
名誉こそ、最高の報酬という別の切り口も
最近、ボクが好きなNAS dailyというユーチューブチャンネルで、
無償でお年寄りの家を修繕するキャンペーンが全米で広がりを見せているという動画を見ました。
無償とはいえ、当然修繕にお金はかかるのでどうするかというとクラウドファンディングですよね、
「一人の善良なお年寄りの家を修繕したいからどうか力を貸してほしい!」
その投げかけに全米から多くの人が支援を表明したのです。
これって、もちろん

人間の善意かっけー
って話ではあると思うんですけど、
もう1つ、出資を表明した人たちの中には
やはり自分が年を取って同じ立場になったとき、そんな風に助けてもらいたいな、そんな親切な人たちが自分の周りにいてくれる世界だったらいいなという計算もあったと思うのです。
人によってはそれを偽善と揶揄するのかもしれないけど、ボクなら偽善だろうがなんだろうが
結果的にお互いに救われるのなら全然問題ないですけどね。
また動画内では、このキャンペーンに参加してくれた人たちに対し、助けた女性の名前を冠して
GLORIA’S GLADIATORS(グロリアの戦士たち)という名誉称号を贈る取り組みが紹介されてもいて
この辺いかにもアメリカらしくて胸アツだな!俺も参加してーと思わせてくれる。

グロリアズとグロリアス(名誉)を掛けてるあたりもオサレ…
歴史を振り返っても、多くの人が自らの欲のためではなく
名誉のために命懸けで戦ってきました。
そんなDNAレベルで備わった損得を超えたシステム、個人的には嫌いじゃないですね(むしろ尊い)。
ちょっと先の未来では、クラウドファンディングなどの仕組みがさらに進化してより細やかな個人間のお金のやり取りが可能になる。
そして、今ベンチャーキャピタルが担っているような事業者への金銭的なサポート+人助けを、有志の個人がどんどん行うようになる。
昭和的な人情味のある関係性が失われて久しい…と嘆く声もあるけど、
きっと未来では、また別の形で人情味ある人とのつながりが復活していると、そんな期待もちょっと膨らむ取り組みです。
まとめ
というのが今回のざっくりとした結論。
フツーに生きてたって、誰しも順風満帆とはいかないし、どこで躓(つまづ)くかわかりません。
ましてや今はコロナ禍で飲食業・サービス業をはじめ、多くの人が苦境にあえいでいる。
そんな今こそ、顔の見える形で困っている人が救いを求めていたら、あるいは困っている人を救いたいんだ!力を貸してくれ!というクラファンを見つけたら、積極的にこたえてみるのはすごくいい将来への投資だなーと思ったのでした。
おしまい。