コミック原作で、アニメ化もされた作品の映画版。
個人的にコミックとアニメ版が好きすぎたので、その実写化となれば誰が演じようと当然スルーするのがファンの流儀と思っていたんだけど、あまりにもアマゾンのカスタマーレビューが高すぎたのでついつい視聴してしまった。
公開当時は、配役にちょっと違和感もあったけれど、いざ見終えてみたら小松菜奈があきらにしか見えない。大泉洋演じる店長も、戸次さん演じる九条ちひろも、驚くほど違和感がなくて安心して話に入り込むことができた。
JKがおっさんに恋をするという夢のようなシチュエーション
まあ、この作品はこういった非現実的な設定から巷では
おっさんホイホイなんていわれてるわけだけれど、案の定ホイホイされてしまったではないか。
99.9パーありえないけど、陸上にかけていた少女がケガして凹んでるところに、下心のないオッサンが優しく手を差し伸べたらワンチャン…ありえるかもしれない奇跡…という設定は相変わらずあざとい(笑)
もちろん、そういう浮世離れした御伽話をあーだこーだいいながら楽しむ…という見方もあるだろうけど、
2時間弱の間にずいぶんと、胸に刺さるセリフが目白押しで。
・もし、君がそう決めたのなら、きっとそのことをいつか懐かしく思う日が来るだろう。だけど
、もしそれがあきらめなら、ずっと前に進めないままになっちゃうんじゃないかな。
・その原稿用紙は、未練じゃない、執着っていうんだ。そういう言い回しのほうがいいだろ。
・俺たちは大人じゃない。同級生だろ。
こんなセリフを聞きながら、いろいろと思うところがあった。
人はいつまでも、何かに執着し続けなければならない
あきらは陸上に、店長は小説に。
才能の有無にかかわらず、憑りつかれた何かに人は命がけで執着するしかない。
そうやって、全身全霊をかけて打ち込んだ時間こそかけがえのないものとなる。
それは、いつになっても、
その人が何歳だろうと言い訳を許さない厳然とした事実なのだ。
でも、逆にいえば、いつでも人は何かに執着することができる。その権利は誰も奪うことができない。
もし、あきらめの対義語が執着なら、
あきらめない限り試合終了ではないのなら、年齢なんていいわけにすべきではない。
あきらの若さあふれる輝きに感化されて、
かつての情熱を取り戻した店長。
その姿に感化されつつ、エンドロールでしばし呆然となる私。
若さとは時に凶暴で…それは当の本人ですら扱えない強大なエネルギーを持つという意味でもそうだし、過ぎてしまってから、かけがえのないものだと気が付く残酷さという意味でもそうなのだろう。
正直、若さの暴力に(スクリーン越しであっても)あてられるのはあまり好きではない。
そこからは希望よりも絶望の味が多くするから。
ただ、なんとなく自分の中にあるべき情熱がくすぶって消えかけていると感じるときには、
多少の混乱覚悟で、意を決してこういった作品にふれるべきなのだろう。
そうなれば、当然、後悔や羨望が引き起こす痛みを感じないわけにはいかない。
ただ、その先にしか、かつての情熱を取り戻すルートが用意されていないのなら、
それは、必要な通過儀礼として歓迎すべきものでもある。
とりま、若い時分の情熱を取り戻したいなら今すぐにでも観ておくべき映画。
手遅れになる前に。
それでは、また