心の排水作業。その名は”モーニングページ”

大分久々のブログ更新

というか、そもそもブログなのか何なのかもよくわからないまま、とりあえず、浮かんできた言葉を書き留める心の排水作業。

今朝、本棚の上で目に留まった『ジュリア・キャメロンのあなたも作家になろう』という一冊。その中にモーニングページというテクニックが登場する。

これは、その名の通り、朝ノートのページを開いて、

ただ、ひたすら頭に浮かんできた文字を書き続けるというものだ。

ダメ出しは一切受け付けません。

モーニングページのルールらしいルールと言えば、多分これくらい。

ブレストなんかと一緒で、出てくるアイディアや意見にダメ出しは一切せず、とりあえず全部書きとめるというか、吐き出す。なんたって心の排水作業だもの。

こんなことを書いて何になる?

とか

全然、脈絡が無いじゃないか、そもそも文法的におかしな文章だし。

なんて、自分の中の検閲官の声は無視して、ただひたすらに書き続けることに集中する。

それを30分か、あるいはノート3ページ分か、どっちかちょっと忘れたけど、とにかく自分であらかじめ決めた分量をこなす。モーニングページは、質じゃなくて量。そうすることで、自分の生活の中に、”書く”という行為がしみ込んでくる。

それだけではなく、ちょっと眉唾だけど、徐々に、ある種の霊性というか、閃きを得やすい体質に変わっていくらしい。ただ、体験としてそういうことが起こるのはほぼ間違いないのだけれど、そのメカニズムまでは、ちょっとよく分からない。これぞ宇宙の神秘?

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書く、という行為を考えるとき

大人になればなるほど、

作家のように大そうな文章でなければ

とか、

理路整然としたものにしなければ

という頭が先に働くようになる。

あるいは、

何か良いアイディアが閃いたら書こう。

もしくは、

時間が出来たら書こう。

という言い訳はいつでもカンタンに調達できる。

だけど、

そういう諸々の事情があったとしても、

朝起きて、30分ノートに向かう、ということさえ出来ないという人はいないだろう。

もし、仮に作家を志そうなんて考えが1ミリでもあって、それさえできないのなら、さっさとあきらめた方が身のためだし。きっと向いてないんですよ、だって作家になるような資質があるなら、書くな!と言われたってこっそり書いちゃうものでしょう、きっと(笑)。

その点、私は、ジュリア・キャメロンさんの

「書くための時間はかすめ取るものよ。」という表現が好きだ。

一度にまとまった時間はとれなくても、5分、10分くらいなら、きっと誰だって書くための時間を確保できるはずだし。

それはともかく、

モーニングページの良いところは、何を書いてもいいし、うまく書く必要なんて全くないところ。だと思う。

「なんで、こんな朝っぱらから、眠い目を擦って書かなきゃならんのだ!あ、そっか自分で書こうと決めたんだったっけ。じゃあ、しょうがない、しっかし、俺はつくづく早起きが苦手だ…。』

なんてことを取り留めもなく書き続ければいい。

それを誰も咎めやしないし、気楽なものだ。

そして、ありがたいことに、

書くことは、(程度の差はあれ)続ければ続けるほど上達する。

というか、慣れる。

もちろん、より効率的に上達したいなら、意識的にノウハウを習得するのも多少は役に立つだろう。

でも、結局、ノウハウだけで構成されたようなどこにでもあるような文章ってのは、やっぱりどこにでもあるのだから、どうしたって面白みには欠ける。

だから、多少時間がかかっても自分の体から染み出てくるような文章を書けるようになった方が楽しいと思うし、クセのある文章だからこそファンになってくれる人も現れるだろう。

人間の体とは面白いもので、モーニングページという心の排水作業によって、長年目詰まりしていた間欠泉がガバッと開くと、そこから湯水のごとく書きたい言葉があふれてくるということもある気がする。

「でも、ノートだと、整理や管理が面倒…」

という場合は、こんな風にブログに書いて残しておくと、後で見返す時に便利だ。

「一年前の今日は、こんなことを書いていた…」なんてことを後でネタとして書けるかもしれない、という打算も多少働かなくはない(笑

話をもとに戻そう。

モーニングページは、”書いてもいいんだよ”

という許しをあなたに与えてくれる。

世間が何といおうと、もう一人の厳しい自分がどういおうと、

好きなように書いていいのだ。

あなたが大統領になるまでのストーリー?

ヒーローとして世界を救う?

あるいは、絶世の美女とめくるめくランデブー?

それはどうぞお好みで。

追記

かくいう私も、書く事の楽しさを忘れかけていた今日この頃。

「別に、他人の目とか気にしなくていいから、ブログをノート代わりに書いたらいいじゃん?」

というような開き直りをかますことで、最近の気乗りしない感じがなんだったの?ってくらい自分の中の書くことのハードルが低くなって草wって状態(使い方あってます?)。

その分、一時的に文章のクオリティーがダダ下がるとか、支離滅裂で読めたもんじゃないとか、そういうことはあるだろうけど、

先ほど述べた通り、書くことは続けることで嫌でも上達していくものなので(多少考えながら書く必要はあるけれど)、これからも愚にもつかない文章を吐き出しながら、書くことで自分の中に起こる変化や発見を楽しみたいと思いまっす。

それでは。