茂木さん、見てますか?
これがあなたがオワコンと切り捨てた日本のコメディアンの雄姿ですよ?
どうも、タカハシです。
皆さんは、ご覧になりましたか?
昨日行われた「THE MANZAI 2017」で披露したウーマンラッシュアワーの漫才。
政治的なネタはどこかタブー視されている日本のお笑い界にあって、随分と思い切った漫才を披露したものだなぁ…とまずはその勇気に拍手(面白いかどうかは別として)。
正直、今の日本のお笑い界において、政治風刺をネタにするのは、はっきり言ってリスクとリターンのバランスが全く取れていない気がするし、
下手すれば、それが理由でスポンサーや政界関係者から目を付けられ、業界から消されてしまうリスクすらある中で、なぜあんなネタをやったのか…ということは、一度聞いてみたい気もするけれど、
確か、ウーマンの村本さんは、本気でアメリカのスタンダップコメディアンを目指します!的な発言をされていたんですよね?
アメリカンジョークの一つの定番が、この政治風刺ですから、まさに今回の漫才は、彼にとってその序章と位置づけられたものだったのかもしれない。
近い将来、
「ああ、村本はあの頃から、尖ったネタやってたなあ…。」なんてお笑いファンの語り草になるのかも。
私は、特段ウーマンラッシュアワーや村本さんのファンというわけではなけれど、彼の言動を見ていると、
ある時は、田原総一朗さんでお馴染み朝まで生テレビに出演し(おそらく芸人としては初)、名だたる論客相手に、無知だと揶揄されようと、この素人が!とバカにされようと、憶することなく、実は誰もが思っているような素朴な疑問や考えを自分の言葉で終始熱く語っていたりして、
何この人…メンタル強すぎやん。
と若干尊敬すらしたのを覚えている。
ちなみに、その回には、ワイドなショーでもドSなお嬢様キャラとして(?)すっかりお馴染みの才媛、三浦瑠璃様もご出演なさっていており、終始孤軍奮闘する村本氏を優しくアシストされていた麗しいお姿も、ひとつ目が離せないポイントではあったのだが(笑
それはともかく、まあ、こういう政治風刺ネタをカットせずに放送したフジテレビも、なかなか攻めた番組作りをしたもんだと、ちょっとだけ見直したりもした。
ん?
あれって生放送だったの?
じゃあじゃあ、打ち合わせナシのネタテロだったとか?
いやいや、さすがにそれはないでしょ(笑。
煽りVTRでも、村本の熱い主張が!みたいなこと言ってましたし…。
生ならではの放送事故だったら、見る分には対岸の火事的な娯楽として楽しめそうであるけど…あら、不謹慎?失礼失礼。
めちゃイケ、みなさんの~などの長年、局を支えてきた長寿番組が相次いで終わっていく中、生き残りをかけて、次なるキラーコンテンツ作りに躍起になるのは当然のこととして、
テレ東がごとく攻めた番組づくりへとシフトしてくれたら、
もしかしたら、普段ほとんどテレビを見ない私ですらチェックしたい番組のひとつも現れるのかもしれない、と実は2%くらい期待している。
笑いは日常の憂さを束の間忘れさせてくれるものだけれど
漫才やコントは、基本的に多くの人が日常を忘れて、笑いに興じることのできるスバラシイ娯楽だと思う。
しかし、その数分間が過ぎてしまえば、また元の日常に戻っていくわけだから、まさに余興と呼ぶにふさわしいものでもある。
これまで日本で発展してきた、”お笑い”というジャンルは、基本的に政治とは一線を画するものだった…少なくとも、私のような素人が日常触れる範囲ではそういう風に認識してきた。
そういった前提もある中で、今回のウーマンラッシュアワーの漫才のように、
笑いの中に、実は、国民皆が考えなければならないようなシリアスなテーマを散りばめたスタイルというのは、日本の笑い(コメディ)に新たな重層的グラデーションを生み出す契機(きっかけ)として、あってしかるべきものなのかもしれない。
政治風刺ネタと言えば、毎年爆笑問題が披露しているけれど、
彼らの漫才には、そこまでシリアスな雰囲気は感じられず、
「こんな困ったおじさん、おばさんがいましてね~」といったテイで
あまり深くは切り込まず、どちらかというと茶化して終わるパターンが多い気もする(どうよ?この安定の小並感は…笑
言い方はわるいけれど、安全な範囲からは決して踏み出さない感じ。
一見過激な言動と思わせておいて、その辺は、まさに絶妙なバランス感覚を働かせているのでしょう。
まあ、彼らの場合、ある程度のポジションがすでに確立されているからこそできるということもあるでしょうしね(いうなれば、ポジショントークならぬポジション漫才)。
たとえば、ビートたけしさんが政治風刺ネタをしても、大物政治家の誰も目くじらを立てないだろうという話。
政治ネタは、見る側も力量を問われる
日本で政治ネタが流行らない理由の一つとして、
国民の政治への無関心(ゆえの無知)という問題も無視できない。
漫才のネタとして取り上げられたトピックを知らなければ、笑えないのはもちろんのこと、その何が面白いのか理解するためには、知識として知っている以上に、その事象の中から笑いのエッセンスを抽出するセンスも求められる。
昨今は、テレビドラマなどを見ても、明らかに複雑な心理描写などは減少し、誰もが理解できるような安直なストーリー(というかもはやギャグ)が永遠と垂れ流しになる中、
お前たちにこの笑いが理解できるか?的な、ある意味に客を試すような漫才を披露するというのは、まさに時代と逆行しているということになろうかと思うのだけれど、
ええ。私は、そういうの、嫌いじゃないですよ。
もちろん、憂さを忘れるような純度100%の笑いを追求することはものすごく尊いことだ。
ただ、笑いと日常をつなぐ架け橋のような漫才をつくりあげるのも、それはそれで同じくらい尊いことなんじゃないだろうか。
そして、世の不条理を笑いに変えることこそ、真の笑いなのだと
祭りの後は、いつも寂しいものなのだから、その帰り道にクスリと出来る諧謔(かいぎゃく)の効いた小話の一つくらいあってもバチはあたらない、でしょ?
それでは、また。