どうも、レボログです。
今回は、『君たちはどう生きるか』という本の中から、
主人公のコペル君に、お母さんが話したエピソードをご紹介。

これが、なかなかいい話なのです。
ある日、コペル君が落ち込んでいると…(ネタバレあり)
いきなりネタバレ。

まだ読んでなくてこれから読む予定の人は、またあとで。
ある時、
コペル君はちょっと取り返しのつかないような大失敗をしてしまいます。
それで、体調を崩し2週間ほど学校を休んで寝込んでしまいました。
その間、コペル君は弱虫な自分を責(せ)めるのですけど、
そんなとき、コペル君の失敗を知ってか知らずか、隣で編み物をしていたお母さんがこんな話をしてくれたのでした。
階段とおばあさん
コペル君のお母さんがまだ女学生だった頃。
あるとき、
ちょっと寄り道をして、お気に入りの石段を上る道を帰っていたら、目の前に大きな荷物を背負い、今まさに石段を登ろうとするおばあさんがいました。
お母さんは、すぐに荷物を持ってあげようと思いました。
そして、いそいで追いついて声をかけようとしたのですが、
つい声をかけそびれてしまった。
そのあとも、そのおばあさんの後について石段を登りながら、
(声をかけよう・・・声をかけよう…)
そう何度も思ったのですけど、
ついに声をかけられないまま2人は最後まで石段を登り切ってしまいました。
別れ際、お母さんと目が合ったおばあさんは、
不思議そうな表情をして去っていったといいます。
声をかけようとしたお母さんの葛藤など、
当然知る由(よし)もなかったのでしょう。
それがコペル君にお母さんが語ったエピソードでした。
そのあともなぜかずっとあの場面が思い出されて
他の人が聞けば、

な~んだ、そんなこと。
と気にも留めない些細(ささい)な思い出かもしれません。
でも、
お母さんには、そのとき声をかけられなかったことが、
今でも昨日のことのように思い出されるのだといいます。
さて、ではこの時コペル君のお母さんは
コペル君に何を伝えたかったのでしょうか?
「人生ってのはね、後悔の連続なのよ…お母さんもね、いまだに後悔しているの。きっと誰だって後悔の1つや2つあるものなのよ。」

多分、そういうこと言いたかったんだろな。人生のほろ苦さと出会ったか・・息子よ。みたいな。
私なりに、
初見でそう予想して読み進めてみると…話のオチはちょっと違ったのですね。
後悔があるからこそ良い人間になれる
では、本の名から、その場面でのコペルママのセリフをお借りしてみましょう。
「でもね、潤一さん(コペル君の本名)、石段の思い出は、お母さんには厭(いや)な思い出じゃあないの。そりゃあ、お母さんには、ああすればよかった、こうすればよかったって、あとから悔やむことがたくさんあるけれど、でも、『あのときああして、ほんとによかった』と思うことだって、ないわけじゃあありません。(中略)今になってそれを考えてみると、それはみんな、あの石段の思い出のおかげのように思われるんです。(中略)
人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰り返すことがないのだということも、ーだから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気がつかないでしまったかもしれないんです。
そうして、コペルママは、
あの石段の思い出は、自分にとってけっして損ではなかったと思う。
と結論づけたのでした。
確かに後悔はしたけれど、
それと引き換えに人生の大事なことを教わることができた貴重な経験だったと。
そうして、
人の親切がしみじみとありがたく感じられるようになったのも、それからだといいます。
コペル君にも、その話が自分の体験した強烈な後悔と結びついて、ひとつひとつよく分かりました。
そして、コペル君と自分とをどこか同化させながら読んでいた私にも。
もちろん、こういう話って別にテーマとしては目新しいわけじゃない。
だけど、こうしてきれいな日本語で丁寧に語られると、じーんと胸に響いてくるものがあります。
このエピソードに出会えただけでも、この本を読んでよかった。
そう思えたのでした。