帰納法と演繹法。
きのうほうとえんえきほうと読むらしい。
と書くとちょっと自分でも白々しい。
というのも、この言葉自体は別に知らなかったわけではなく、
かつて数学の授業や、論理学の講義で習った記憶がある。
とはいうものの、二つの違いを説明しろと言われると沈黙してしまう。
以前、他の記事の中で、帰納法的に推論すると…というような言い方をしたのだけれど、果たして使い方としてあっていたのかどうか。
それを自分なりに確かめたくて、書いているのが今回の記事というわけである。
もちろん、それが他の人の役に立つのかどうかは大いに謎だが、それでもワタシと同じ程度の理解か、全く知らないという人には多少なりとも…せめて本格的な勉強へ向けたとっかかりくらいにはなるのではないかと。
まあ、仮にならないとしても、少なくとも私自身の役には立つので良しとする(笑
帰納法≒マーケティング
ササっと調べてみた限りでは、この説明が一番しっくりきた。
つまり、帰納法とは調査なのである。
余りいい例えではないけれど、
たとえば、秋田犬を飼っていた人から、
「うちの犬が昨日死んじゃって…」
という話を聞き、
ゴールデン・レトリバーを飼っている人から
「昨年、愛犬が死んじゃって…」
という話を聞き、
さらに、チワワを飼っていた人から
「10年前に家のがさ…」
という話を聞いたとする。
そこから、
「犬はみんないつか死ぬ」という結論を導くのが帰納法。
つまり、ここでは、それぞれの犬の死という事実から、犬全体に当てはまる事実として死ぬという結論を導き出している。
これにより、ハスキーでもダックスでも、犬である限りいつかは寿命がやってくるという結論を導き出すことができるというわけだ、まあ、ホント犬好きなくせになんでこの例えにしたんだろ…。
こんなのも帰納法のうち
また、共通する特徴を抽出して結論を導くだけではなく、
たとえば、「社員がどんどんやめている。」「銀行への返済が滞っている。」「3年間新入社員を採用していない。」「株主配当をしていない。」
などの事実から、「この会社は経営難に陥ってる。」と推論するのも帰納法の一種。
コチラの方は、犬の事例とちょっと違うような気もするけど、
過去に経営難に陥った企業の特徴を抽出し、それにどれくらい当てはまるか調べることで、ある会社をして経営難だと結論づけたわけだ。
そう考えると、やはり、改めて帰納法≒調査という説明が腑に落ちる。
帰納法は納得感が大事
帰納法≒調査。
それゆえ、データが不十分なのに無理やり飛躍した結論を出すと、
途端に、その結果には信憑性がなくなってしまう。
数学的なカチッとした概念なのかと思っていたけれど、納得感とか、そういう感覚的なニュアンスで語られると、それこそ説明にも納得感があるというもの。
演繹法≒三段論法
三段論法とは、たとえば、
鳥は空を飛ぶ。ツバメは鳥だ。したがって、ツバメは空を飛ぶ
みたいなヤツ。
つまり、特定の前提(上の例えなら”鳥は空を飛ぶ”という部分)を出発点にして、数珠つなぎに論理を展開していく推論法のこと。
何の授業かはちょっと忘れたが(高校の現国の教師の雑談だったかな?)以前習った記憶がある。そして、演繹法よりもそっちの方が印象深く残っている。
そしてそして、どうやら3段論法は、ほぼそのまま演繹法と言い換えてもいいらしい。
という理解は、多分正確ではないのだろうけど、あながち間違いでもないと思われる。
まあ、ここでの目的は演繹法という言葉を正確に理解するとっかかりになる、ということもあるけれど、おおつかみに演繹法の意味を把握して、
「いったん演繹法的に考えてみると…」
なんて言い回しができるようになることでもあるので(笑
この程度の理解でも、まあ悪くはない。
本格的に知りたい方は、漫画で勉強してみるのもおススメ。
演繹法の問題点
ただし、演繹法にはひとつ問題点がある。
それは、前提が間違っていると、その後の推論も全部お釈迦になってしまうということだ。
たとえば、先ほどの鳥は空を飛ぶという前提だが、お気づきの通り、思いっきり間違っている。
なぜなら、この前提はダチョウやエミューやペンギンといった飛ばない鳥の存在を無視しているからだ。
ということは、演繹法を正しく使おうと思ったら、例外を生まない正しい大前提を立てるところから始めなければいけない、ということになりそうだ。
それはそれで一見めんどうそうなんだけど、論理的思考法の良いところは、型をマスターしてしまえば、考えをまとめる際や、あるいは文章を書く際にそれを半永久的にテンプレとして使えるところなので、この機会に、急がば回れで習得しておくのもいいんじゃね?
というわけで、今回はこのへんで。
それでは、また。