どうも、レボログです。
最近、六丸さんの↓の動画きっかけで鬼滅の刃(アニメ版)という作品を知り、
そしてはまり抜け出せなくなった者です。
とりわけ、1期最大の見せ場といって間違いない第19話『ヒノカミ』でこれまで最強の強敵、十二鬼月の一人である塁(るい)と対決するシーンはハンカチの用意なしではキケンでみられない。
というわけで今回は、数ある名シーンの中から、私が食らいも食らった19話の魅力を余すところなく全集中しつつ語らせていただきます。

あ、アマゾンプライム会員なら無料で観られますんでまだの方はぜひ!
余談:善逸登場あたりからはちょっと「う~ん…」な感じもありつつ
とかいいつつ、いきなり余談から始める体たらく…。
もうですね、最初にレビューをガン見してから本編に恐る恐る立ち入っていくチキン癖が今回も顔を覗かせたせいで、
前評判では
・善逸うるせーとか、
・イノシシ野郎バカすぎ!
とか
・押し付けがましいアニメ!
とかいろいろ言われててちょっと…って先入観もあったわけですけど…あまり期待しないで見始めたのがよかった(ありがとう六丸さん)。
たしかに、そのせいで、子供に助けを求めビービーわめく善逸の情けない様子に
イラっとしたこともありましたっけ。

ただし、それも彼が一度眠りについた姿を拝んで以降は一変します。MADも秀逸。
とりわけ、彼がじいちゃんから修業をつけてもらっているシーン、そこでのやりとり、悲しい生い立ちなどに触れ、決めるところではだれよりも強くカッコよく決めるギャップにすっかりまいっちゃってます。

と、善逸の魅力についてはまた別の機会に
ささやかな願いのために戦う主人公が好きなのです
さて。この物語、舞台は日本の大正時代というなかなか渋めな設定。
主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は、
本当に、二宮金次郎を絵に描いたような孝行息子。

二宮金次郎って孝行息子ってより勉強熱心な少年じゃなかったかの?

あ、完全にイメージで言ってるので深くツッコまないでいただけると…
父親が亡くなり、母一人兄弟多数な状況の中、長男としてまるで父親のように皆の面倒をみる働き者です。
そして、妹で長女の禰豆子(ねずこ)。
彼女もまた、炭治郎同様に家族思い。
たとえば、自分の着物は何度も縫い直して倹約し、その分、
「妹と弟たちにたくさん食べさせてあげて。」と笑顔で言っちゃうほどに素敵な女の子。
その竈門家にある日、悲劇が…物語はそこから始まります。
炭治郎が街に炭を売りに山を下り、家を留守にしている間、家族が鬼に襲われてしまうのです。
次々に命を落とす家族の中で、唯一、一命をとりとめたのが禰豆子でした。
炭次郎は、禰豆子の命を救うべく彼女をおぶって山を駆け降りる。
しかし、その途中、禰豆子が鬼になってしまったことを知ります。

傷口に鬼の血を浴びてしまうと人が鬼になってしまう…というウォーキングデッド的設定がこの物語の核のひとつです。
本来鬼は、人間を食べることで食欲を満たす。
主食”人間”という何ともセンセーショナルな設定。

理性が薄れ本能的な行動が目立つ点も含め、
この辺もウォーキングデッドをイメージしていただければ。
しかし。
禰豆子だけは他の鬼とは違いました。
炭治郎の呼びかけにこたえ、理性を失わず、人間を襲わないと決めた鬼だったのです。
家族を襲った張本人、鬼の親玉鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)ならば、きっと鬼を人に戻す方法を知っているに違いない…。
という前提を踏まえて、
この物語の主人公・炭治郎の目的は妹禰豆子を鬼から人に戻すこと。
つまり、ささやかな幸せを取り戻すために戦う物語なのです。
「痛いし辛いけど、まだまだ頑張らなきゃ。だってさ。いつか兄ちゃんは大人になる。そして爺ちゃんになって死んじゃって、そしたら鬼の禰豆子はひとりぼっちになっちゃう」
「それじゃ寂しいよな、禰豆子。兄ちゃんが必ず人間に戻してやるからな」
こんなセリフ1つにも炭治郎のやさしさがバファリンの10倍はこもってる気がする!
だからこそ、彼の努力や生き方に共感できるし、応援したくなる。
欲張ってちょっとだけ自分を重ねたくもなる。
家族の絆のすべてが1シーンに凝縮されていた
親から子への受け継がれる想い、無償の愛、絆(きづな)。
その強さと美しさ。
十二鬼月のルイという
かつて、家族の絆を渇望した少年だった鬼との戦闘シーンだっただけに、
それがより鮮明に、強く美しく輝いてみえたのかもしれません。ルイ目線ならまぶしく、そして切なく。
まるで実写かと見紛うばかりの舞踊シーン

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
箇条書きのようで申し訳ありませんが、これも地味にといっては失礼だけどすごく驚かされました。
まるで実写…いや違う、それ以上です。
実写のように精緻(せいち)な動きを見せるのに、しっかりアニメーション。
コンピュータグラフィックのような不自然さもまったくない。本当にすごい。

まさに、アニメーション技術の進歩に驚かされるってやつ。
アニメファンなら必見ですよ。
なんでそこだけしゃべっちゃうの!?禰豆子ちゃん!
(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
このシーンはマジやばかったですね。不意打ち過ぎましたね。
鬼になって以降、それまで基本、
「んー」しか言わなかった禰豆子ちゃんが、兄のピンチに
いきなり
血気術…爆血!
ってしゃべっちゃうの!?
かっこよすぎでしょうよ笑
もうね、これまでほぼ『んー』だけで感情表現してきたくせに(笑
それも全部このシーンのための布石だったんじゃないかってくらい
カウンターノックダウン確定な1シーン。
もともと、鬼の中でも底知れぬ実力(十二鬼月上弦に匹敵する)を秘めているとされていた禰豆子ちゃんだけに、その一端を垣間見ることができたという意味でもかなり鳥肌ものでした。
ただ、「しゃべらないであれほど可愛いのはピカチュウか禰豆子ちゃんくらい」っていう六〇さんの表現すこ笑
際の際まで描き切った繊細かつ滑らかな描写

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
滅多にお目にかかれるものではないですが、
命懸けといっても大げさじゃないくらい魂のこもったシゴト(作品)というのは素人目にもはっきりとわかるものです。
画面越しにも、気迫がビンビンに伝わってくる。
裏を返せば手抜きはすぐにバレる。
鬼滅の刃というアニメ作品自体、クオリティーが鬼なのですが、
その中でも19話はぶち抜いていて、大げさじゃなくアニメ史に語り継がれるような1話だと思う。
圧倒的な表現描写はもちろんのこと、そこに丹念な心理描写が加わってもう訳が分からないくらい心が揺さぶられます。
親から子へ継承される魂、かけがえのない大切なモノ
親子の絆、そして兄弟の絆、絶望的な状況でも挫けず前に進む勇気。

でもって、その勇気を支えるのもやっぱり家族の絆(きずな)
「人が死の間際に走馬灯をみるのは、過去の記憶から生き残る術を探しているからだそうですよ。」
伏線として、しのぶさんから走馬灯の解説がなされている…ところから炭次郎が見る走馬灯という演出も脱帽すぐるし…
そして、死地に活路を見出すの言葉通りそこから覚醒しちゃうんだもの…。
さらに、
「お兄ちゃんを助けて」
死んだ母親の魂の声を聞いた禰豆子がカッと目を見開き、鬼になって初めて人の言葉で血気術を発動するシーンの凛々しさたるや。まさに鳥肌もの(てか、ほぼ鳥(?)です笑)。
竈門炭治郎の歌:名曲すぎ!

感動の名シーンからエンディングへの流れがマジで神!
この19話だけ挿入歌・エンディング曲として竈門炭治郎の歌という曲が挿入されます。
ややネタバレになっちゃいますが、エンディングの挿絵も特別に書き下ろされたもの(おそらく)で
竈門家の家族の美しい思い出を描き、まるで最終話のような演出。それだけでも制作陣の想いの強さが伝わってくるというものでございますよ。
鬼も、もともとは悲しい過去を持つ人間たちだから

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
悪は悪。正義は正義。
そのように単純化した作品もある中で、鬼滅の刃で炭次郎たちの前に立ちはだかる鬼たちは、みな…とくに核となる十二鬼月たちは(一部例外をのぞいて)皆、もともとは悲しい過去を持った人間たちでした。
それが鬼舞辻の血によって鬼に変えられていく。

人が鬼の血を飲むと鬼に変わるという設定です。
そして、ルイもまた大切な家族のきずなを自らの手で壊してしまった悲しい過去を持つ少年でした。だからこそ二度と取り戻せない家族の絆に深い憧れを抱いていた。
そんな塁の孤独な気持ちに
心のどこかで自分を重ね合わせる部分があったのかもしれません。
だからこそ、竈門家の家族の絆、そして炭治郎と禰豆子の絆が直視できないくらいまぶしく感じられたのかも…

少年時代の炭治郎と禰豆子の描き方がまたステキなのですよ…
物語はそろそろクライマックス?
もうですね、アニメ版が良すぎたので、ついつい原作を全購入しちゃいましたよ。
ちなみにアニメ版は単行本7巻あたりまでを描いていて、8話の煉獄さんの胸アツ話は映画化されることが決定しています(楽しみ)。
漫画版の方はいよいよ炭治郎たち鬼殺隊と十二鬼月との総力戦が山場を迎え、そろそろクライマックスかといった展開に。
このままダラダラと間延びしないで、颯爽と描き切ってもらえたら、私の中でスラムダンクやるろうに剣心と並ぶジャンプ史に残る名作として心に刻まれることでしょう。
にしても、無惨の小者感よ…他が魅力的なだけにそこだけちょっと残念(笑
というわけで、今回はこのへんで。
それでは、また。