※この記事の内容は”ほぼ”フィクションです。
実在の登場人物とは”ほぼ”関係がありません。
ある飲み会の帰り道でのこと。
友人のAが突然、
「俺、将棋の駒の中で一番好きなのって桂馬なんだよね。」
という話をしだした。
Aが将棋の話をするなんて、それまでなかったことだったので、
ちょっと意外に思いつつも、
ちょうど会話のネタも尽き欠けていた時分でもあったので、
宙に浮いて消えかけていたそのつぶやきの残滓を慌てて手繰りよせた…要するに話を継いだのだ。
「へぇ~、お前が将棋指せるなんて知らなかった。で、なんで桂馬が好きなの?」
まあ、我ながらつまらない質問だ。
だが、肌寒い11月の深夜に、男二人無言で夜の街に足音だけ響かせて徘徊する惨状よりは、
たとえ徒花でも、話に華が咲いていた方がましというもの。
そんな打算。
「桂馬ってさ、その名の通り、戦場を一気に駆け抜けるような動き方をするだろ?他の駒にはないようなあのダイナミズム。そこが俺の男心をくすぐるんだよね。」
・・・ん?
なんだかものすごく曖昧な答え方をするじゃないか。
というか戦場を一気に駆け抜けるような動きって…将棋指しの表現としてはえらく抽象的じゃないか。
疑問に思って、核心的な質問を投げかけてみた。
「お前さ、将棋さしたことあるの?」
「ないよ。」
案の定…てか、即答かよ。
将棋を指したこともないクセにこいつはまあ、いけしゃあしゃあと。
「俺は桂馬が好きでね。」
なんてよくもまあ、言えたものだ。
「一度、言ってみたかったんだ。このセリフ、ただそれだけ。」
昔からこいつはそういうところがあった。
まったく未知のジャンルを、さも物知り顔で語りながら、
未知であることを恥もせず、もちろん隠しもしない。
その無邪気さ。
度々イラっとさせられる反面、ちょっとうらやましくもある。
知らないことが罪なのか。
それともそれを隠すことが罪なのか。
知らないことを隠さなければ、無知は許されるのか。
Aと別れた後、寒空の下、
家路につくまでただひとりぼんやりとそんなことを考えていた。
「将棋の駒の中で、唯一ほかの駒を飛び越えられる躍動感はオンリーワン感ハンパないからな。」
「敵陣に踏み入ったとたん成桂になって覚醒するあたり、漫画の主人公みたいでそそられるわ。」
もし、あのとき、こんな返しをしていたらAはなんて答えただろうか。
なんてことを、今、臆面もなくググりながら書いている。
なぜなら、
何を隠そう、この私こそが将棋については全くの素人だからだ。
桂馬の動きについても、今さっき見知ったばかり。
ホント、知ったかぶりって怖い・・・。