仮想通貨(ビットコイン)の信用は誰がどうやって担保しているのだろう

仮想通貨

先日、仮想通貨の名を世に知らしめたであろうビットコインが一時に半値にまで値を下げて、多くの投資家(投機家)たちを絶望させた、というニュースを目にした。

 

これを受けて、

金融・経済関係の専門家連中は、それ見たことか!といわんばかりに

「仮想通貨は、国や政府によって価値が担保されていない脆弱(よわくてもろい)ものである。今回のことは、その当然の結果として、起こるべくして起こったことだ!」

と鼻息荒くまくし立てていた。

 

 

確かに、今世界的に流通している通貨は、国や中央銀行(日本で言えば日銀)がその価値を保証した上に成り立っている。

 

しかし、一方で、常に他の国の通貨と絶えず相対的に価値を計られるものでもあるから、国の政治・経済あるいは極端な天災などの影響で一時的に価値が下がってしまうこともある。

 

天災による(一部人災)が通貨の価値に影響を与えた事例として記憶に新しいのは、やはり3.11の震災および津波だろう。

このとき、一時円高は70円台まで進み、この時、ある専門家などは

 

「このまま一ドル50円になってもおかしくはない。」

などということを言っていた。

 

あろうことか、当時これを聞いた私は、

そのとき長期保有していたドル円の買いポジションを投げてしまったのである。

 

その後のドル円の価格の推移(一気に円安の方向へと振れ110円を突破した)をみれば、いかに専門家の発言が宛にならないか理解できるというものである(それ以来、専門家の為替に関する未来予想は一切信じないことにしたのだが、それが今のところ良い結果を生んでいる)。

 

ただ、やはりそのような状況の背後には、日本銀行の為替誘導の動きがあったことも見逃せない。

国際社会における円の価値というのは、いわば、日本経済全体に大きく影響してくるものでもあるから、通貨発行権を持つ中央銀行たる日銀には、円の価値を産業に悪影響を及ぼさないレベルに調整する役割が期待されているし、実際、日銀のホームページなどにも、

わが国では、…為替相場変動がもたらす実体経済への悪影響を緩和するために、しばしば外国為替市場への介入(「外国為替平衡操作」とも言われます。以下、「為替介入」ないし単に「介入」と呼ぶことにします)が行なわれてきています。

として、為替介入が行われてきた事実と、その歴史や目的について詳細にまとめられている。

 

このような通貨の価値を担保するための為替介入は、当然、日本だけではなく、国際的に通用する通貨を発行しているすべての国(の中央銀行)が行っている。

 

そして、それにより、通貨の価値は一定の水準を維持することができる。

だからこそ、私たちは、ただの紙切れに過ぎない紙幣の価値を共同幻想として信じることができているわけだが…

 

さて、そこで気になるのが

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仮想通貨の価値は誰が保証するのか?

ということである。

 

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そもそも、仮想通貨には、発行主体となる中央銀行のような機関が存在しない。

一説には、サトシ・ナカモトという国籍・年齢・性別など、その素性が全て謎に包まれた人物の手によって生み出されたという、ビットコインに代表されるこれらの通貨(いや、そもそも仮想通貨には通貨発行権を持つ機関が存在しないのだから、正確にはこれらは”通貨”ではなく、仮想の価値交換媒体(システム)と呼ぶべきものであるのだが、便宜上、ここでは敢えて通貨と呼ばせていただく)の価値を保証する機関というものは存在しないのだ。

 

もちろん、サトシ・ナカモトという個人が価値を保証しているわけでもない。

彼は通貨発行権者ではなく、システムを開発したエンジニアに過ぎないのだ。

 

となると、これほど注目されておきながら、これまでの通貨の概念を当たり前のものとして享受してきた身としては、この仮想通貨という経済システムは、いかにも不安定なものに思えてならない。

 

あたかも一定の価値があるかのような体裁をとっておきながら、そこに実態は何もなく、硬貨や紙幣も存在しない。あるのは電子データとしての数字だけだ。

果たして人々は、どのようにして、その価値を共同幻想として信じることができるのだろうか。

 

まあ、硬貨や紙幣も…飾りみたいなもんではあるけれど、一応手形のようなものがあるのとないのとでは、信頼感が違うというか…。

ただ、電子決済が当たり前の昨今においては、画面上の数字だけを信頼して取引するということへの抵抗感を感じる人は、思ったほど多くないのかもしれない。

 

 

 

仮想通貨が生み出された背景となる思想は実は物凄くシンプル

 

「国籍や地域にとらわれず、世界中の人々が自由に、しかも手軽に価値を共有し、交換できる仕組みがあったら便利だよね。」

 

仮想通貨は、そんな技術者の素朴なアイディアから誕生した。

 

確かに、仮想通貨を使えば、

為替レートによって生じる価格差や金利差を気にすることなく、世界中どこにいても、現在、国際送金にかかっている手数料の何分の1かの手数料で送金を完了することができる。

 

それゆえ、特にアジア地域から出稼ぎに来ている人々の間では、本国への仕送りの際、手数料が安く済むとの理由から人気を集めているのだという。

 

なるほど、それは確かに便利そうではある。

 

しかし、もし私が、自らの財産や給料のほとんどを今この瞬間すべて仮想通貨に換えろ!と言われれば、やはり二の足を踏んでしまうのも事実だ。

 

なぜならば、仮想通貨という価値交換媒体が、果たしてどのようにしてその価値自体を担保しているのかまったくもって不透明だからである。

 

日本円なら日銀、ドルならばFRB…ならビットコインは??

 

日本円や、米ドルなど法定通貨と呼ばれる通貨に関していうと、これは中央集権的に中央銀行がデータを管理し、その発行に関して、権限と責任を持ってる。

いわば、国が後ろ盾となり、その価値が担保されているといえる。

 

じゃあ、ビットコインの価値は、いったい”だれ”が保証しているのか?

ここが仮想通貨を理解するうえで、私が一番ひっかかっているところである。

 

仮想通貨の根幹を支える”ブロックチェーン”という仕組み

 

 

先に、結論めいたものからいうと、

仮想通貨の価値は、ブロックチェーンと呼ばれるシステムによって保障されている。

このブロックチェーンの生みの親と言われる人物こそ、先ほど名前をあげたサトシ・ナカモトその人なのだ。

 

システムの詳細は複雑すぎてとてもここで説明できるものではないが、

簡単に言うと、ビットコインの発行や、取引の詳細なデータをすべて10分毎に一つのブロックとして記録し、それをチェーンのようにつなげていくシステムらしい。

 

 

そして、それらのデータは、世界中のコンピューターによって分散管理され、世界中の不特定多数の人がチェック、監視することができるようになっている。

 

そのような集団監視のシステムにより、仮に偽造や不正が行われればすぐに判明するため、事実上、仮想通貨の偽造や詐欺的な行為は不可能なのだという。

 

この説明を読む限り、仮想通貨の正当性(偽物ではなく本物であること)を保証する仕組みはある程度よくできた信頼できるシステムであるというのは理解できる。

 

しかし、それはすでに価値を認められた通貨を安全に利用できるというだけの話で、

仮想通貨自体のお金としての価値が何によって保障されているのかという説明にはなっていない気がする。

 

ブロックチェーンが安全なシステムだと聞かされても、私にはまったく仮想通貨の良さが伝わってこない。

 

お金の価値の本質は信用だというが、仮想通貨には、この信用の部分が決定的に足りていないのだ。

 

一万円札のの原価は20円だという話をご存じだろうか。

 

しかし、我々はみな一万円札に一万円分の価値があるということを信じて疑わない。

つまり、それは通貨発行権者である日銀、ひいては国を信用しているということに他ならないのだ。

 

となると、仮想通貨においては、いったい誰を(何を)信用すればいいのだろう。

 

ビットコインは発行上限が決められている≒天然資源のようなもの?

 

ビットコインは、あらかじめ、発行上限枚数が2100万枚と決められているのだという。

そして、それを今現在もマイナー(採掘者)と言われる人たちが掘り続けている。

 

電子データを”掘る”というと全くイメージがわかないが、

要するに超難解な暗号を世界中の人がスーパーコンピューターを駆使して先を争って解いているような状況らしい。

そして、その暗号解読レースは10分毎に行われ、その勝者だけがビットコインをマイニング(掘り当てること)できるのだとか。

 

この作業には、大量のコンピュータを24時間休みなく働かせるための膨大な電気代がかかるため、電気代の安い中国の一人勝ちだと聞いたことがある。

 

現状、マイナーの7割は中国人だそうだ。

では、肝心のレースの賞金だが、これは現在、最初に掘り当てた人には12.5BTC

が与えられるという。仮に1BTC100万円とすると、10分毎に1250万円がもらえる計算になる。これは皆こぞってマイニングに励むのもうなずける。

 

とはいえ、設備投資の面から言っても、電気代の面から言っても、

もはや個人が参入できるレベルではないということなので、あまり関係のない話ではあるが(笑

というか、電気代の高い日本では、あまりうま味はなさそう…。

 

 

さて、発行上限が決まっており、計算では2141年にそのすべてが掘りつくされるというビットコイン。

 

これを聞いて連想するのは、やはり金(ゴールド)である。

かつて、金本位制という、通貨の価値を金によって裏付けるという仕組みが採用されていた(現在は、国が通貨発行権を管理する管理通貨制度に移行している)。

 

つまり、金の価値を普遍的なものとして人々が信じていたわけであり、その上に通貨の価値もなりたっていたというわけだ。

 

そして、金の価値を担保していたのが、その希少性である。

 

金はあらかじめ埋蔵量が決まっており、無尽蔵に作り出すことはできない。そのため供給量は一定水準で保たれ、価値も保証されるものと考えられていた。

 

ビットコインに代表されるような仮想通貨も、あらかじめ発行上限を決めることで、金と同様に価値を担保するようデザインされている。

 

なるほど、希少性によって価値を担保か…少しだけ、その本質が見えてきた気もするけど、

それでも、まだまだ信用できない。

 

金本位制の崩壊とその理由

 

希少性があるから、価値は担保され、それが信用につながる。

 

しかし、事実、世界の国々は現在金本位制を採用していない。

 

それはなぜか。

 

いちばんのネックは、やはり通貨発行権に限界があることだ。

金本位制の元では、国は基本的に自国が保有している金の価値以上の通貨を発行することができない。

これでは、経済状況の変化に合わせて柔軟に通貨の量を調整し、価値をコントロールすることが出来ず、最悪、大恐慌のような状態や暴動、戦争状態を引き起こす危険性すらはらんでいる。

 

これは、極端な例かもしれないが、

将来、まるで限られたパイを奪い合うように仮想通貨を巡った紛争や略奪のようなことが起こらないとも限らない。

 

希少性には、価値の目減りを抑制する効果が期待できる反面、一部の者がそれを独占する状態になったとき、それを是正するには強硬的な手段にでなければならないなど、問題点も多く存在する。

 

結論

 

なんて、出るわきゃねえ(笑

まだまだ、分からないことだらけの仮想通貨だが、一つ言えるのは、現段階では、まだまだとても通貨と呼べるようなシロモノではないということだ。

 

おそらく、開発者は、世界中で使える便利な決済システムがあったらいいよね、と言う無邪気な発想でビットコインを開発したのだと思う。

 

しかし、通貨として広く流通するためには、それが世界平和や国際秩序の安定に寄与できるだけの思想的な基盤を確立していなければならない。

そのためには、単にシステム上の発展だけではなく、法制度や倫理的、思想的、歴史的、哲学的観点からも、さまざまなふるいにかけられなければなるまい。

 

今回は、仮想通貨の”けつもち”は一体どこの誰なのかを知りたくて記事を書いてみたけれど、結局その所在はつかめないまま。

 

ただ、この”管理者の不在”こそが、仮想通貨の一番の肝であり、私などからするとどうも信用ならねえな、と思わされる部分なのだろうが…中央集権的な考え方に慣れ過ぎなんだよな、きっと。

 

きっと。といえば、近未来の世界では、この仮想通貨に代表されるような、取引所を介さず、全員が対等な立場に立って取引をするピア・トゥ・ピア(Peer to Peer、P2P)システムの考え方が当たり前になっていくことだろうことは、(ほぼ)明らかそうなので、

 

仮想通貨については、

管理者不在の新時代的システムを理解して順応するための頭の体操として、よくよく勉強しておいた方がいいかもしれない。

 

それでは、また。

 

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