不思議な映画だ。
確か10年くらい前に一度見た記憶があるけれど、内容は全く覚えていなかった。
小林聡美と、もたいまさこが印象に残っているくらいで
ストーリーやら舞台設定やら何一つ思い出せないまま、ただなんとなくいい感じの映画だったよね、くらいのイメージしかない。
なぜか、
あれだけインパクトのある女優片桐はいりの顔すら思い出せずに、久々に目にした唯一無二の存在感に一瞬のけぞったほどだ。
かといって、駄作というわけではまったくない。
それはレビュワーの評価が物語っている。
名作、傑作と呼ばれる作品の多くは特徴的なスト―リーや設定を背景に
強いインパクトと共に視聴者の脳裏に刻み込まれるのが常だ。
その一方で、この「かもめ食堂」という作品は、明らかに異質で、
名作なのに内容が残らない…改めて不思議な映画だとしか評しようがない。
舞台はスウェーデン、じゃなくてフィンランド
監督に言わせれば、物語の舞台をフィンランドにしたのだってきっと理由があるのだろう。
でも、私にとってはこの映画の舞台がスウェーデンだろうが、タヒチだろうがモルディブだろうが…それじゃ『めがね』になっちゃうか。
とりあえず、小林聡美と片桐はいりと、もたいまさこのビッグ3トリオが居れば成立してしまった映画である。
ただ、フツーに考えたら、舞台は意外や意外フィンランドでしたよね。。。くらい覚えてそうなもの、なのに覚えていないのには多分理由がある。
それは、この作品のストーリーがまったくフィンランドを生かしていないのだ。

というか敢えて殺しにいってるまである
たとえるなら、『サザエさん一家、3泊4日でフィンランドに行くほか3本』みたいな感じ。
あ、ちびまる子ちゃんでもいいです。
一応、現地の日本かぶれの青い目の青年…というのも登場するんだけれど、
彼がなかなかに日本語が喋れるものだから、これまたスウェー…じゃなくてフィンランド感が薄れてしまうのだ。

別に部隊が軽井沢でも北海道でも、同じ作品がとれたでしょ、これ…
でも、やっぱりフィンランドだからこそよ?
映画の内容を自分なりに整理し切れていない者の常として、
もう一人の自分が、今述べたことの反対意見を陳述し始める。
今回もそのご多分に漏れずに、
「この映画は、フィンランドだから成立したんだよ?」
という声が聞こえてきた。
確かに、言われてみればそうとも言える。
異国の地、フィンランドに降り立った(小林聡美はすでに定住して食堂を構えて暮らしているけれど)、3人の日本人。
言葉も通じない中で、(小林聡美はフィンランド語ペラペラだけど)、当然不安だし、そこで奇跡的に日本人と出会ったら、よほどヤベー奴じゃない限りお近づきにもなりたくなる。
これがもし、日本が舞台なら…ほかに話をする人は無数にいるわけで、近づく前にそれとなく人となりを聞き出すような場面がなかったら逆に不自然だろう。
その部分を端折って急に仲良くなるとか単にリアリティーがなくなっておしまいである。
でも、もし仮に3人それぞれの過去のゴタゴタ(もたいさんは親の介護を終えてフィンランドにやってきたと自分語りしていた)をイチイチ掘り下げていたら、こんな素敵な映画に仕上がらなかったのは間違いない。
となると、やっぱりスウェ…じゃなくてフィンランドで正解なのだ。
フィンランドじゃなかったら、
お互いの細かい事情や、
わざわざ日本からはるかに離れた北欧の国に来た理由や、
これまでの人生遍歴なんかには一切触れずに、
それでもなお「私たちって親友かも?」と錯覚できるレベルにまで豊かな関係性をはぐくんでいく…という奇跡を2時間たらずの映画の中で達成することはできなかったはずだ。
これがハワイだったらムリなのだ。観光名所が多すぎる。海で泳ぎた過ぎる。ヌシカンさんにも会いたくなっちゃう。
アメリカでもダメだったのだ、ハリウッド行きたいし、ミュージカル見たいし、カジノにも行っちゃうのだ。
やっぱ主要な観光地は半日でコンプできる国フィンランドじゃなきゃ。
エアギター世界一を決める国フィンランドじゃなきゃ。
サウナ我慢大会に真剣になる国フィンランドじゃなきゃ。

そう考えるとフィンランド効果すげー

さらに言うと、小林聡美が料理もできて、食堂で日本人を受け入れる準備が出来ていて、現地語も話せて、合気道と水泳でメンタルも整えてる…というチートキャラとして存在しているのも映画全体に安心感を与えているとみることもできんかのう。

チートキャラって…ダークソウルおじいちゃんか!

ぜったいツッコミおかしいだろ…
遠くからそっと見守るような人と人との距離感
この映画には、深い愛情も友情も絆も描かれていない。
なのに、ありがちな青春群像劇や恋愛ドラマよりよほど心地いい。
それは、多分この物語が、誰もがちょっと勇気をもって一歩前に踏みだせば出会える人間関係だけで形作られているからだと思った。
お互いに、長年連れ添ったわけでもない、何なら昨日出会ったばかりの人同士が、
心がけ次第でこんなにも温かい関係を築けるものなのかとちょっと嬉しくなる。
かとって、登場人物たちがとびきり人懐っこく他人の懐に飛び込むのがうまい人たらしかというと全然そんなこともなく、どちらかというと他人とは適度な距離感を保ったまま暮らしたいような人たちだ。
あ、そうか。スナフキンたちの物語なのか
そう思ったら、妙にしっくりきた。
メインキャストが女性ばかりだからしばらく気づかなかったけど、フィンランドはムーミン発祥の国で、ムーミンといえば私の人生の理想形スナフキンが登場する物語だ。

そういや、映画の中でもムーミントリビアがいくつか登場してましたね、スナフキンとミーが異父兄弟だったとか。ニョロニョロが電気食べて生きてるんだよとか。
スナフキンは、多くを語らない。
ムーミン谷に来たと思ったら、
「孤独が僕の友達さ…」とカッコいいことを言って一人別れも告げずに旅立ってしまう。
だけど、ムーミンはじめみんな彼のことが好きで、いつか旅立つとわかっていても(いやだからこそか)近くにいたいと思う。
なんでそんなことが起こるんだろう…
みんな人から気に入られたくて気をもんで、それでも理想的な関係なんてつくれなくて悩んでるのに…
その答えはズバリ→センス、人との距離感を瞬時にはかるスバ抜けた天才的なセンス!
と言ってしまうと話が終わってしまうので、
あえてとびきりの真心と思いやりということにしよう。
・余計なことは詮索しない。
・話を聞いてほしそうな人がいたら「うんうん」と聞いてあげる
ベタベタと触れあうばかりが素敵な人間関係ではない。
むしろ、それぞれ自立した人間として尊重し、余計なことはしない、キホン、放っておく。
フィンランドのご婦人(長年連れ添った旦那が理由も告げずに急に出ていった)の悩みを聞くのにフィンランド語を理解している必要はない。
ただただ、手を握って深くうなずけばいい。
何かに悩んだら、森に行ってきのこ狩りでもしたらいい。
なんだか大切なことを教わった気がする。
美味しいものを食べると笑顔になるは万国共通
散々どうでもいいことを書き散らしてしまったので、
最後に食堂あるあるを言って終わります。
というのは冗談で、
当たり前のことだけれど、日本人もフィンランド人も美味しいものを口にしたらみんな黙って幸せそうな顔になる。
一緒に美味しいものを食べる。
その際、作ってくれた人に照れずに
「美味しかった」と伝える。
そしたら、作った人は
「ありがとう。また来てね。」
という。
ホントは、人ってそのくらいのやり取りを3回くらい繰り返したら、
それだけで、お互いに大切な存在になれるんじゃないだろうか。
と考えていたら、なんだかすごく楽な気分になった。
PS.
多分、あと半年もしたら、この映画の設定やあらすじをまた忘れてしまうに違いない。
でも、それでいいのだと思う。
そしたら、またあらためて見ればいい。
新鮮な気持ちで見始めて、片桐はいりのドアップにギョッとして
もたいまさこさんから生き方の極意を教わって、小林聡美さんの張りのある「いらっしゃい」にポンっと背中を押されればいいのだ。

ただ、しばらくの間はコーヒー淹れるたびに、コピ・ルアックが口癖になりそうです。
というわけで、今回はこのへんで。
それでは、また。