自分のことは忘れよう~”書けない”を打破する作家Mのアドバイス~




ジュリア・キャメロンの『あなたも作家になろう』という本の中に、

『書くことをテーマに書いている作家のうち、私が今まで読んだところではヘンリー・ミラーがもっとも自己宣伝が無く、正直に思える』として、彼のこんなアドバイスが紹介されていた。

「あなたの目の前に広がる人生に、もっと興味をもつこと。人々、物事、文学、音楽‥…世界はあまりに豊かで、宝物や美しい興味深い人々に満ちている。自分のことは忘れなさい。

ミラーのくれたこのアドバイスの中で、特に、最後の”自分のことは忘れよ”という部分にピンとくるものがあった。

作家が物語を生み出す時、世界を紡ぎだす時、

その着想は、いったいどこからやってくるのだろうか。

それは、前々からずっと私の中で答えの出ない疑問として吹き溜まっていたのだけれど、タイミングというべきか、出会うべき一文の破壊力とは恐ろしいものである。

もし、作家というか、モノを書く人間が描ける世界が、自らが体験した経験によって限定されてしまうのなら、それはそれでその限界を甘んじて受け入れるほかはないだろう。

もし、それが事実なら、それを嘆いたところで何も始まらない。

あとは、せいぜい体験の幅を頑張って広げていくしかない。経験値を上げていくしかない。

しかし、一方で、

自らが体験したことではなくても、アイディアの神様が、まるで今まで足を踏み入れたことのない世界にその人を誘うかのように招待してくれることがあるのだとしたら…

そして、名作と言われる作品のプロットがそんな幸運によって形作られてきたのだとしたら…

自らの経験の稚拙さを嘆く暇なんてもはやありはしないだろう。

もちろん、言い訳なんてしていいわけがない(あ、ダジャレ)。

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”自分”にしがみつくことが足枷に

物語を書く時には、自分の原体験をひも解いてみよう。ヒントは必ずそこにある。

そんなことを言う人がいる。

確かに、ある意味もっともな話だし、ひらめきや幸運に頼らず、地に足のついた物語を書くためには的確なアドバイスにも思える。

でも、もし、いくら過去を振り返ってみても、書きたい題材が見つからなかったら?

「そんなことはない。それはお前がサボってよくよく自分の半生を振り返ってないからだ!」

確かに、そうなのかもね。

でも、振り返りたくないことだってあるのですよ。

トラウマを蒸し返す、時に、そんな自傷行為のようなことまでして、何のために書かにゃならんのですか?

書くことは、極論すれば、幸福になるためでしょう?

なんてことを考えていたときに、出会ったのが冒頭の一文だった。

というわけで、なんというか、神様の仕込みは大したもんだ。

人間関係の極意の一つに、自分のことは置いといて、人の立場に立って考えよ、なんてことが言われたりするけれど、

なるほど、これは書くことにも当てはまるのかもしれない。

人間関係の話で言われると、

「なんか、めんどくせーな。」と思っちゃう私でも、

なぜか書くこととなると、スーッとこのアドバイスを受け入れることができたのである。

それはなぜかと考えてみるに、イメージ的にはきっとこんな感じなんだよね。

外の世界に目を向けて、それを書き留めようとしているときって、ごちゃごちゃした思考はなりを潜め、無心の状態。フロー状態。

このページの表現に合わせるなら、流れ込んでくるアイディアを書き留めるだけの体と化す(笑。

一方で、人間関係だと、多分そうはいかなくて、いろいろと気を揉むから面倒ということがあるのだと思う。人当たりの良い人ならそうではないのかもしれないけど、私の場合、心は絶えずざわついて落ち着かない。

「え?私、お客さん完ぺきに捌けてるとき、あ、自分今フロー状態だな、って感じるよ?」

接客に天性の才能を持ってる人なら、そんな風に感じるのかな。

というのも、興味のベクトルが自分にしか向いていなければ、思う事さえないことなわけで。

というわけで、しばらくの間は、

「ここは、どこ?私はダレ?」の一歩手前くらいまで、自分のことは忘れてみようかな(笑

それでは、また。