【ナイツ塙】”ボケ”は間違いから人を開放する(言い訳の感想)

本のこと

※ちょっと下系の汚い話から。

なので食事中の方は読まない方がいいと思います。

 

ある程度年齢を重ねた男子ならわかることだと思うけど、

小中学生くらいの男の子にとって、学校でのう〇こ問題というのがありまして。

 

男子は基本的に学校のトイレでう〇こができません。

物理的にできないわけではないけれど(大便器は用意されているから)

 

心理的なハードルがものすごく高い。

 

なぜなら、もしう〇こをしてることをクラスのほかの男子に見つかってしまったら、

もうその子のあだ名はその日からう〇こマンになっちゃうからなのです。

 

 

それくらい男子にとって学校でう〇こをすることは一大事。

 

私も昔、(たしか小学校低学年のとき)

どうしてもおなかが痛くなって休み時間にトイレに行こうと決意した瞬間がありました。

でもどこのトイレも男子たちであふれかえっているわけですよ、そういう時に限って。

 

もう1階から3階まで駆けずり回って(あ、走るとヤバいから実際は早歩きで)ようやくワイドオープンなトイレを見つけてホッとしたのを覚えています。

 

ただ、小中学校を通して学校でう〇こをしたのをその1回限りだったと思う。

 

スポンサーリンク

”ボケ”があれば失敗なんて怖くない

 

さて、なんで冒頭から、1年分くらいう〇こを連呼していたのかというと、

 

こんな本を読んでいるからなのです、いま。

 

この中に、ナイツの塙(はなわ)さんが

小学生のときウンチがしたくてどうしようもなくなったけど、どうしていいかわからず漏らしてしてまったというエピソードが登場します。

 

塙さんはそれ以前、幼稚園の時にも大便器と小便器の意味がわからず、間違って小便器のほうにウンチをしてしまい、先生に男子全員が集められて(誰がしたのかは先生は知らない)

「こっち(小便器)にウンチをしたらダメですよ」と注意されたそう。

 

 

そんな幼稚園、小学校での出来事はクラスメイトにも少しずつ知れ渡り

「ウンコ、ウンコ」

とからかわれるようになる。

 

そのことを2人の兄に話しても

「お前、汚ねえな。」といじめられ、

親に話しても

「気にしなければいいのよ」と真剣に受け止めてくれず…誰も守ってくれなかったと塙さんは書いています。

 

救ってくれたのは『8時だョ!全員集合』と『オレたちひょうきん族』

 

そんな孤独な塙さんを救ってくれたのが、当時放送されていた2大お笑い番組

『8時だョ!全員集合』と『オレたちひょうきん族』でした。

 

志村けんさんと加藤茶さんが「ウンコ」や「チンチン」とか言って楽しそうにしてるのをテレビで見ている間は日常のいやなこともすべて忘れられた。

 

ウンチの小道具が出てきた時も、(志村さんたちは)ゲラゲラ笑っていて、その光景がとても不思議だったのだといいます。それが何かの啓示のように感じたとも。

 

ウンチで人気者になれるかもしれないー。

映画『十戒』で、海が割れそこに道が現れたように、この瞬間に自分の進む道が見えたと塙さん。

 

そこからがフツーの人と違っていて、

小学4年生のときにひそかに『ウンコの歌』というのを作ってクラスメイトがからかってきたところでここぞ!とばかりに大熱唱。

「そうだぜー、俺はウンコ野郎なんだぜー!」

<そう~、あれは5年前のある日~、俺はウンコを漏らしたんだぜぇ~、ベイベー>

 

クラスは大爆笑。

この瞬間塙さんは恍惚(こうこつ)となり、ボケという名の最強の鎧(よろい)を手に入れた、そう感じたそうです。

 

お笑いのボケにはどこか悲しさがあった方が面白い

 

お笑いに目覚めた塙さんが、

その後一番影響を受けたのは、ダウンタウンであり松本さんなのだそう。

 

当時、全国放送でもダウンタウンの番組が放送されるようになり

クイズ番組で次々に繰り出されるわけのわからないボケに

子供ながらに「この人、何考えているのだろう…」と不安と恐怖でいっぱいになったといいます。

 

大御所もいるなか、会場が微妙な空気になろうがどうしようが珍回答を続けるので、しまいには浜田さんが

 

「お前ええ加減にせーよ!」

と回答席のボタンの上にウンコ座り。するとスタジオ中が大爆笑に包まれて…。

 

そのとき、とんでもないものを見てしまったような気分になったのと同時に、得も言われぬ解放感があり、

間違っていることでも、「ボケ」という括りの中に入れることで人間はこんなにも自由になれるのだ、と感じだと塙さん。

 

 

確か、これは松本さんがいっていたことだと思いますが、

「お笑いには、どこか悲しみがあった方がおもしろい」というフレーズが印象に残っています。

 

ウンコを漏らしてしまったという悲しみ、家が貧乏だったという悲しみ。

 

そういう”悲しみ”が笑いに深みというか味わいを与えているのかもしれないなーと。

確かに何一つ不自由なく育ったボンボンが、腹の底から人を笑わせてるのとかちょっと想像できないかもしれない。

 

人を笑わせたい!ボケたい!人気者になりたい!

そういう渇望の出どころを探っていくと、たとえば塙さんのウンコ事件のようなものにぶつかるのかもしれない。

 

もちろん、人は楽しかったり、嬉しかったりしたとき、

つまり幸福なとき自然と笑う生き物です。

 

だけど、お笑いって、不幸な人や悲しんでいる人を笑わせられるからお笑いなんじゃないかな、とふとそんなことを思いました。

 

だからこそ、どこかで悲しい体験をしていたり、コンプレックスがあった方が、より人を笑わせられる。

 

まあ、もちろん、余計なことを考えずに、

ただネタそのものが面白くて笑う、それでいいのだと思います。

 

芸人さん達にしてみたら、そんな余計な裏読みをしてニヤニヤされるのとか尊敬のまなざしで見上げられるのとか、たぶん迷惑だし、めんどくさいやつでしょう。

 

ただ、塙さんの少期のエピソードとか、松本さんのチキンライスの歌詞とか

そういうボケの奥の方にある悲しみのにおいを感じ取ってしまう敏感な人には、ただただ笑うのをは何か違った尊敬というか感動みたいなものが別枠で生まれるかもしれませんね。

そう考えると、笑いって本当に奥が深いです、という感想文でした。

 

それでは、また。