ハルオサンのイラストを見て絵に対する考えが少し変わった話

今回は、ハルオサンという方のイラストを見て思った話。

形無しとか型破りとかどうでもよくね?

ハルオさんのイラストはものすごくシンプル。

一見、誰でも書けそうなくらいだし、実際マネして描けば5分もかからないと思う。

絵ということでいうと、

たとえばピカソに代表されるようなキュービズムという表現様式。

美術にそれほど造詣が深いわけでもないので、詳しいことは書けないけれど、

小学生のとき、祖父に連れられて美術館で初めてピカソの絵を目にした私の感想は、

「この絵、下手じゃね?」

だった記憶がある。

ピカソの絵について、

「全然、下手じゃん(笑」

という素人の感想に対しては、

専門家さんは、

「いやいや、ピカソはもともと物凄く写実的な絵も描いていたんですよ、だから下手なんてことは言っちゃいけません。」

みたいなお説教をするのが常みたいだ。

これは、書道の世界なんかでもそうで、

名のある書道家が、フツーの人が文字なのか絵なのかも分からないような作品を発表したとしても、

下手じゃん、読めねえし。

という感想に対しては、

「阿呆が。あの方は、お前さんらが思っている上手な習字なんてレベルはとっくの昔に卒業しているのだぞ!」

というお説教がどこからか聞こえてきそうだ。

つまりは、形無しと型破りの違い。

絵で言えば、正確なデッサンや写実的な表現。

習字で言えば、お手本通りの行書や楷書。

こういったいわゆる”型”をしっかり身に着けているからこそ、

あのような表現の世界に飛躍できたというのである。

なるほど、まあ、確かにそうなんだろう。

そうなんだろう、と思うけれど、別に形無しと型破りってそこまでハッキリ差別化されるべきものなのだろうか?

ハルオサンの絵をみて、ふとそんな疑問が浮かんできたのである。

記事にもあったとおり、ハルオサンは、絵を専門的に勉強したことはないそうだ。

つまり、言い方は悪いが、形無しイラストレーターである。

しかし、そのイラストには独特のかわいらしさがある。

そして、それを良いと言って買ってくれる人がいる。

つまり、形無しだけど商売(ビジネス)として成立している。

反対に、美大で基礎を学んだいわゆる”型持ち”の方でも、商売にならない例はいくらだってある。

つまりは、需要と供給。

つまり、型があるかどうか(基礎ができているかどうか)と、それが人から求められるかどうかはまた別の話なんじゃないだろうかと。

そりゃもちろん、基礎があればあるに越したことはないのかもしれないけれど、

それで失われてしまう自由な発想というのもあるだろうし、

もし、ハルオサンがなまじっかデッサンなんてものを学んだとしたら、あのゾウの絵は誕生していなかった気がする。

そもそも、絵を評価する側の人にしても、みんながみんな美術的な審美眼があるわけじゃないし、上手い下手だけで判断しているわけでもない。

「なんかいいよね。」

「私はこの絵好きだな。」

小難しい理屈なんかどうでもよくて、

結局こういうことに尽きるんじゃないかな。

もちろん、テキトーに好きなもんを描いてそれが金になるなんて甘い世界ではないんだろうけど、

少なくとも、

目が上手く描けない。

手が上手く描けない。

髪の毛が…

という”ないない”的発想から、

今自分が出来る範囲で描けるイラストを描こう。

という発想に切り替えるという発想自体が物凄く新鮮で目から鱗で・・・ってこれは子供の頃はみんなやってたことなんですけどね…歳は取りたくないや。

売れる絵=上手い絵

もしくは

上手く書けるのを敢えて崩した味のあるヘタウマ。

という、

これまで私の中になんとなくあった常識を見事ぶっ壊してくれたハルオサンのぞうさん。

技術や表現の幅を広げる足し算的な発想から、要らないものをそぎ落としていく引き算的な発想へ…というと説明としては、いかにも余計な言葉に満ち満ちているな(汗

上手いとか、下手とか、型があるとかないとか

そんなの可愛かったら関係なくね?

まあ、そんなことを思ったのでした。

それでは、また。