【般若心経】悩みや不安から解放され自由に生きるヒントとは

シンプルライフ

最近、お経(きょう)唱えてますか?

 

どうも、タカハシです。

 

突然、変な質問から始めてしまってゴメンナサイ(笑

 

さてさて、

変な質問ついでに、もう一つ質問。

 

 

みなさん、日本で一番有名なお経は何かご存知ですか?

 

 

そう正解は、般若心経(はんにゃしんぎょう)

ってこれはさすがにタイトルでバレますよね(汗

 

 

さて、その般若心経。

もちろん、ただ有名なだけではありません。

実は、ものすごく、ありがた~いお経なのです。

 

 

え?そんなこと言われなくも、何となく分かるわ!って?

ですよね、失礼しました。

 

ただ、具体的に何がどうありがたいの?

そう聞かれると、ちょっと答えに困ってしまうんじゃないでしょうか?

いつもながら、んなの常識っしょ。スラスラ答えられるぜ?って方は回れ右でお願いします。

 

 

と、前置きが長くなりましが、

 

今回は『先輩、実は般若心経ってマジスゲーんすよ?』←タイトル変わっとるがなw

と題して、般若心経が伝えるメッセージとその魅力に迫ってみたいと思います。

 

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わずか266文字の中に仏教の知恵がギュッとつまってる

 

般若心経は、実は、あるお経の名前を言いやすいように短くしたものだってご存知でしたか?

その正式名称は、摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)といいます。

…先生、言いずらいので、やっぱ般若心経のままがいいです。

 

摩訶般若波羅蜜多心経。

 

これはどういう意味かというと、

この世の偉大な真実に目覚める為の究極の知恵の教え(ドヤッ

ということを表したものだとか。

 

さすが、お経界のレジェンド。

タイトルからしてスケール感が違いますね(笑

 

しかし、その偉大さとは裏腹に

驚きなのがそのあまりの尺の短さ。

 

どのくらい短いかというと、

その本文は、文字にしてわずか266文字

タイトルの10文字を加えても、わずか276文字しかありません。

 

「え?そんな短い中に、究極の知恵がつまってるの?」

 

そうなのです。

そこが般若心経のスゴイとこなのです。

 

もともと般若心経は、

大般若波羅蜜多経と言われる六百巻もの膨大(ぼうだい)な数の経典の中から、

その中でも、特に重要と思われる「空(くう)」」関する教えを抜粋したもの。

 

いわば、最強キュレーター三蔵による大般若波羅蜜多経キュレーション記事のようなもんか(笑)

 

まあ、だとすると、

控えめに言っても、般若心経をして”仏教の知恵の結晶“と呼んでしまっても問題ないでしょう。

 

般若心経の現代語訳

般若心経の現代語は、ネット上でも数多く無料で公開されています。

今回は、その中から、読んでみて特にわかりやすかったものを引用させていただきました。

さすがにちょっと長めですけど、一度は目を通しておいて損はないと思いますよ。

 

真実の幸せに生きよう

観音さまは、「人間の真実の幸せとは何か」を究めるために修行された。そして、人間と、人間の思いは、すべて虚妄(きょもう)であることに目覚められ、あらゆる苦しみや迷いから解き放たれて、仏になられた。

わが友、シャーリプトラよ、人間にとって何が真実の幸せかを説こう。欲望の対象となるものは、すべて虚妄であり、虚妄なるものの上に欲望というものは構築されている。だから、欲望を抱くことは空(むな)しく、空しさとはすなわち、欲望を抱くことなのだ。

欲望を抱くもとは、感じたり、思ったり、判断をしたり、認識したりすることだが、これも同じように空しいものである。

シャーリプトラよ、すべての存在は実体がない。だから、生じたり、なくなったり、浄(きよ)らかであったり、垢(けが)れていたり、減ったり、増えたりすることは何もないのだ。

このように、諸法は無我であるから、欲望の対象も、それを感じることも、それらへの思いも、判断も、認識もなく、それらを覚知する眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もない。また、覚知する対象である形も、声も、香りも、味も、触れるものも、心の働きさえもない。

さらに、眼で見て認識する働きから、心であれこれ思うことまでなく、人間の愚かさや迷いもなく、愚かさや迷いがなくなることさえない。そして、老いたり、死んだりすることもなく、老いたり、死んだりすることから解放されることもない。

苦しみも、苦しみの原因も、苦しみから逃れる方法も、苦しみがなくなることもなく、真実に目覚めることも、悟りをえることもない。なぜならそれらはもともと得ることがないからである。

仏たちは、真実の幸せの世界に安住しているので、心に執着がない。執着することがないから、真実の幸せを失うことの恐れがない。だから、妄想に悩まされることもなく、つねに心がやすらいでいるのだ。

過去、現在、未来に出現された仏たちは、真実の幸せの世界に安住されているから、完全な悟りを得た人といえよう。

したがって、真実の幸せに至る手だては、すぐれた仏の言葉であり、すばらしい仏のことばであり、最高の仏の言葉であり、比類のない仏の言葉によるものである。それは、あらゆる苦しみや迷いを消滅し、真実であるから虚しさがない。

そこで、真実の幸せに至る仏の言葉を示そう。その仏の言葉とは次のとおりである。

「求め、求め続けよ、真実の幸せを、すべての人よ、ともに生きよ、至福の人生を」

幸いあれ。

三笠書房 公方俊良著 般若心経 人生を強く生きる101のヒント P18~P19より抜粋

 

 

ちなみに、この公方俊良さんという方の書かれた本の中では、

現代語訳にくわえて、生活のヒントとして項目ごとに101個の知恵がまとめられています。

また、それぞれのテーマは見開き2ページにまとめられているので、時間が無い人でもちょっとした空き時間にもササっと読めて便利。

 

 

 

般若心経を一言でいうなら「空(くう)」

 

色即是空(しきそくぜくう)。

これは、般若心経の中にある一説です。

 

音としてなら、なんとなく聞いたことがあるゾ。

もしかしたら、そんな方もいるかもしれませんね。

 

では、ちょっとここで、この言葉の意味をお勉強してみましょう。

 

まず、色とはなんでしょうか?

 

ここでいう、色とは、色欲…ではなく(笑)目に見える形あるもの。という意味。

そして、空とは、目に見えず、形として存在していない。という意味を表します。

 

 

あれ?

目に見える形あるものが形として存在していないって…なんか矛盾してない?

 

そう思うのも無理はありません。だって本当にそう書いてあるんですから(笑

 

でも、実はここには、ありがたくて心が楽になる教えが含まれているのです。

ということを去年、法事の席であるお坊さんから教わりました。

それを今からお伝えします。

 

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みかんと私はもとは同じもの

 

たとえば、今、目の前に美味しそうなみかんがあるとしますよね?

 

これは、手に取って皮をむいて食べることができる。そして、やっぱり思った通り美味しい。

 

じゃあ、このみかんは元々何から出来ているかというと、

それは何億個もの細胞や、それをつくるさらに小さな原子や、さらにさらに小さな素粒子の集まりからなるわけです。

 

そして、みかんは、人が食べれば、もうみかんではなくなる。

やがて、その人の体の一部へと変化していきます。

 

そう考えると、人もみかんも、もとは同じものといえるのではないでしょうか。

 

たまたま、ある時エネルギーが特定の場所に集まって、みかんらしいもの、人らしいものを形作っているにすぎない。

 

つまり、

もともと同じだったものが、たまたま分かれて別の形になった(ようにみえる)だけ。

 

そして、みかんも人間も、やがては別のモノへと変化していく。

 

こんな席(法要)で言うのもちょっと不謹慎かもしれませんが、死んだらみなさん土に還られますよね。そして、その土からまた、花や草木や野菜やいろんなものが育っていくわけです。

 

不自由な囚われから解放される魔法の言葉

 

また、生命に限らず人間が作ったルールについてどうでしょうか。

 

・女の子はおしとやかに。

・男の子は人前で泣いたらダメ。

・このくらいの年になったら結婚くらいしないと…

・長男たるもの家長として一家の大黒柱として…

 

先ほど、命には実態がなく、

たまたま、そこにエネルギーが集まって形があるように見えているだけという話をさせていただきました。

 

ましてや、人間がつくったルールや常識は、実態なんてあるわけがない。

それこそ、ただの思い込みに過ぎないわけです。

 

もちろん、それらを受け入れることで快適に、幸せに過ごせているなら受け入れればいい。

 

しかし、

もし、そういったしがらみに囚(とら)われて辛(つら)く感じているのなら、そんなもの、さっさと捨ててしまえばいいのです。

 

なぜならば、そのどれも実体のない幻想、すなわち”空“なのですから。

 


 

当時、それを聞いて私が思ったこと

 

では、次に、

この話を聞いた当時、私が思ったことをちょっとだけお伝させていただきます。

この項は余談に近いので、時間の無い方は、読み飛ばしていただいても構いません。

 

まず、前半部分の、

・命はやがて別のものに変化する。

・今は形あるように見えるものも、結局は、そう見えるだけで確かな存在ではない。だから囚われる必要はない。

 

という部分に関してですが、これは

「なるほど、確かにそうなんだろう。でも、それを知ったからといって、すぐに生活が変化するってもんでもないしな。だって、みかんはやっぱみかんのままだし。」

というのが率直な感想でした。

 

もし、

全ては空なのだから…

俺とみかんは同じものだから…

 

なんて言って、

お金も払わずにスーパーからみかんを持ってきちゃったら捕まっちゃうしね(笑

つまり、概念として理解はできるものの、なかなか実生活に応用するのは難しい話なのかなと。

 

 

一方で、後半部分の

人間が作った常識やルールは割とただの思い込みだったりするかもという話については、結構、普段の生活でもためになる気がしました。

 

どういうことかというと、

次のように考えることで、今自分の抱えている悩みの半分くらいは解消する可能性があるんじゃないかな?ということです。

 

すなわち、

人間が、見たり聞いたり、知ったりするものすべては、所詮思い込みなのだから、常識も価値観も、楽しければ受け入れればいいし、辛くなるようなら、縛られなくていい。

 

・人間関係の悩み

・シゴトの悩み

・お金の悩み

 

多くの人がこれらの悩みを抱えていることでしょう。

ただ、どれも人間が作ったルールや常識の中で生まれた悩みでもあります。

 

となると、

言い方は少々乱暴かもしれませんが、

それぞれの人が、自分でも気づかないうちに勝手に悩みを作り出しているともいえる。

 

その中には、期限までに借金を返済しなければならないなど、いろいろと解決しなければならないものもあるでしょう。

 

しかし、

借金の話でいえば、一方で、プライドや申し訳なさから自己破産することで楽になるという選択肢が見えなくなっているという可能性も考えられます。

 

「人間の悩みって、思い込みを捨てるだけでわりとすぐ消えてしまうものなんじゃないの?」

 

あまり難しく考えずにサッと目を通してみると、

般若心経には、心が軽くなるヒントがたくさん書かれていてビックリ!ということになるのかもしれません。

 

 

もとは、あの三蔵法師がインドから持ち帰ったものだった

 

ここでは般若心経の誕生の歴史についてちょっとだけ触れておきます。

専門家じゃないので、本当にちょっとだけ(笑)

 

 

もともと、仏教の発祥の地はインドだと言われています。

そして、

般若心経も、実はある人物によって天竺(インド)から中国に持ち帰られ、そこで漢字があてられ、やがては日本に渡り今に至ります。

 

その人物とは、みんな大好きドラゴン〇―ル…じゃなくて西遊記でもおなじみの

あの三蔵法師(玄奘三蔵)様。

 

※画像はイメージです。

 

 

西遊記では、天竺に行くことがゴールみたいになってましたけど、

実在の三蔵法師様は、そこからさらに般若心経をひろく人々に広めるという大偉業を成し遂げたのですね、スゴイや。

 

ちなみに、夏目雅子ファンには悪いけれど、

リアル三蔵法師様はバリバリ男性ですので(笑

 

般若心経は考えるな。感じろ

 

インド仏教には、もともとある言葉を音として唱えることで救われるという考えがあるようです。

 

そして、般若心経では、

まさにこのお経のクライマックスともいえる「ギャーテーギャーテー…」の部分がそれにあたります。

 

翻訳を行った三蔵法師様も、

 

「あ、この部分は意味じゃなく、きっと音の方が大事なんだな。」

 

と気づかれたようで、

 

そこに関しては、意訳するのではなく、サンスクリット語で書かれた文字の発音をそのまま残して、そこに当て字をすることにしました。そうしてできあがったのが、現在広く知られている般若心経です。

 

意味から解放される難しさと快感

 

現代社会に生きていると、

どうしてもまず先に意味を考えなきゃ!というクセがついています。

 

ちなみに、高校時代たいして本文も読まずに現代語訳ばかり覚えて漢文のテストを乗り切っていたのも…今となってはいい思い出だ(笑

 

意味、意味意味。

 

意味の分からないものは、自分にとって価値の無いもの。

そう思い込んできたけど、もしかしたら必ずしもそうじゃないのかもしれない。

 

そして、

意味を超えた世界でこそ救われる何かがあるのかも。

 

今、般若心経がもたらす恩恵のひとつに、

ひょっとしたら、そんな発想の転換(気づき)があるのかもしれません。

 

 

 

 

以前、伊集院光さんが司会を勤めるNHKの『100分で名著』という番組で、般若心経を扱った回がありました。

 

その中で、ゲストで登場した僧侶の方が、

「本来は、私(わたくし)というものが消えた方が、命はのびのびできる。」

ということを言われていて、印象に残っています。

 

私=エゴと言い換えてもいいかもしれません。

 

その当時はよく意味が分からなかったけれど。

今もってちゃんと理解できているか怪しいところだけれど(汗

 

読経や写経がブームになる理由

 

私の知り合いに、毎朝かかさず写経をしてから職場に向かうという方がいらっしゃいます。

 

写経とは、お手本を脇において、お経をそのまま書き写すこと。

 

『そんな時間あるなら、その分寝てたいな・・・』

始めて、その話を聞いた時、正直そう思いました。

 

しかし、その人いわく

「これをするのとしないのとでは、一日の清々(すがすが)しさが違う。」

のだそうです。

 

なるほど。

まさに、「Dont think. feel.(考えるな、感じろ)」の世界ですな。

 

ただ、先ほどお伝えした僧侶の方の話にもあったように、

 

ときどき”私”を忘れることで生きるのが楽になる。

という話と、どこか通じる部分があるような気もします。

 

 

その方は、さらにこんなことも言っていました。

 

「俺もね、写経を始めたばかりのときは、

眠てえなあ、とかめんどくせえなあ、とかずっと思ってたわ。

あとムカつく上司のこととか頭に浮かんではイライラもしてたんだけどね。

 

やっていくうちに、ふと何も考えなくなる瞬間がくるの。

そうなるとめちゃくちゃ気持ちよくて、やめられなくなるんだ。

そういえば、タカハシ君は普段ジョギングとかする?

ランナーズハイってやつ…感覚的にはあれに近いかもしれないな。」

 

そんな話を聞かされながら、ミーハーな私もさすがに、

いきなり「写経してみてぇ~」とはならなかったけど、

ちょっとは影響されたのか、今youtubeで繰り返しこんなんばっか聞いてます。

【MV】般若心経 托鉢 ver. [short mix] / 薬師寺寛邦 キッサコ (Kanho Yakushiji Kissaquo)
薬師寺寛邦 キッサコ HP 監督・撮影・編集:北森正樹 / Masaki Kitamori 読経・音楽:薬師寺寛邦 / Kanho Yakushiji 薬師寺寛邦/668331651 踊り:ワトリー理恩 / ...

気持ち、心がス~っとする…ような。

 

さてさて、またぼちぼち、ランニングでも再開しようかな…。

 

というわけで、今回はここまで。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

それでは、また。