【ナイツ塙】大阪は漫才界のブラジルで漫才のネイティブは関西弁

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先日、ミルクボーイの鮮烈な登場&優勝で幕を下ろした2019年M-1グランプリ。

 

1本目のネタで大会史上最高の681点(700点満点中)をたたき出したのにも驚いたが、若手芸人たちの人生を左右するその大会の審査員(7名)のうちの一人でそのネタに99点をつけたのがご存じナイツの塙氏である。

 

彼自身、これまでナイツとして何度となくM-1グランプリに挑戦し、そのたびに涙を呑んできた一人。

 

劇場はもちろんのこと、テレビでも見ない日はないというくらい活躍しているのに、

いまだにM-1グランプリは塙氏にとってトラウマなのだという(未だに大会当時のVTRは怖くて見れないらしい)。

 

そんな彼が、この度「言い訳」と題して関東芸人はなぜM-1で勝てないのか

について現役漫才師(しかも一流)の立場から分析を試みたというのだから読まないわけにはいかない。

 

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漫才のネイティブ言語は関西弁

 

そもそも漫才には大きく分けて、しゃべくり漫才とコント漫才の2つがあるという。

 

それはなんとなくわかるのだが、ここでいきなり塙氏の分析が冴(さ)える。

 

コント漫才は「じゃあ、俺コンビニの店員やるからお前客やって」という設定を元に役を演じるのに対し、しゃべくり漫才をひとことでいうなら…

 

しゃべくり漫才は日常会話

 

はい、お見事。

そうなのだ、たとえばM-1第1回大会の優勝者中川家。

 

中川家の漫才がまさにしゃべくり漫才の王道で、彼らは兄弟2人が等身大のまましゃべるというスタイルを崩さない。

その中川家がM-1グランプリの初代優勝者になったことで、それ以降のM-1の方向性が決まったともいえる。つまりはしゃべくり漫才の頂点を決めるという風に(もちろん、一番おもろいコンビを選んだらそれがたまたましゃべくり漫才スタイルの中川家だったというだけでコント漫才が否定されたわけではないというのは塙氏談)。

 

そして、日常会話であるしゃべくり漫才のネイティブ言語は関西弁なのだという。

 

テクニカルな話をすると、

大阪弁とそれ以外とでは、言葉のスピードが全く違っていて、4分という限られたネタ時間しかないM-1グランプリではどうしてもボケ数や勢いの面で非関西勢は不利になるという。

 

その意味で、あえて言葉数を減らして間で笑いをとって2010年大会準優勝を果たした沖縄出身のスリムクラブは見事なのだけれど、たとえば、NON STYLEの『溺れている少年を助ける』というネタが文字数2000字なのに対し、スリムクラブの『葬式』というネタは800文字というからその違いに驚く。

 

関西はお笑い界の南米で、大阪はブラジル

 

本の中に登場する話として、大阪の喫茶店ではだいたいカウンターが用意されていて、そこから先に埋まっていく。東京やほかの地域だと喫茶店にひとりで行く場合は、静かにくつろぎにいくけれど、大阪はマスターやほかのお客としゃべりにいくのだ。

というものがあった。

 

なぜなら、そこには当たり前のように笑いがあるから。

 

これは例えるなら、サッカー王国ブラジルで子供から大人まで日常的に当たり前のようにボールを蹴って遊んでいる光景を目にするのと似ているという塙氏。

 

これを読みながら一つ思い出したことがあった。

たしかタレントのYOUさんだったか(ごっつええ感じなどでダウンタウンと共演した)、

ダウンタウンの松本さんがプライベートで後輩芸人たちと大喜利をしているのをみて「あ…この人たち休まないんだ。24時間お笑いしてるんだ。」と驚いたという話をしていた。

 

そう考えると、大阪以外の場所で育った人間にとっては、しゃべくり漫才ネイティブを目指すというのは英語圏以外で育った人間が英語をネイティブなみに話せるようになるくらい…

 

いや、そもそも笑いが日常に当然のようにある大阪のその中でも一握りのおもろいやつだけがたどり着ける漫才師という立場を考えるなら、それよりもはるかに険しい道のりなのかもしれないと、あらためて思い知らされた。

 

非関西勢のしゃべくり漫才で初優勝を果たしたトレンディーエンジェル

 

正直、私自身はトレンディーエンジェルのネタでそんなに笑った記憶はない。

 

自虐は受けない…と言われるご時世でひたすら斎藤さんのハゲネタ(ちなみに相方のたかしもはげている)を繰り返すスタイルにあまり新鮮味を感じられず、

どうぜ、またいつものハゲネタでしょ…くらいにおもっていた。

 

しかし、塙氏の分析を読んで関西弁を使わないしゃべくり漫才のスタイルで関西勢と戦うことがどれだけ大変かを理解してから彼らの漫才に触れると評価が一変する。

 

そもそも、塙氏によれば、トレンディーエンジェルのハゲネタは自虐ではなく、ハゲているのにトレンディーにカッコつけているという逆ベクトルの面白さなのだという。

まさにハッとさせられる…たしかに斎藤さんはハゲていることを一度も卑下していなかったのだ。

 

 

人を笑わせるために真剣になる、その姿はとてもかっこいい

子供のころ、家族でテレビで漫才やお笑い番組を見ていて、

お笑い芸人がおどけて笑いをとっていると、母がだいたい決まって

「また、ふざけて、くだらないことばっかりやってる」

とため息交じりにつぶやいていた。

 

それを聞いて子供ながらに

(いや…この人たちは一生懸命人を笑わせようとしてるのに・・・)

と違和感を感じていた。けど、うまく言葉にできない。

 

でも、たとえば給食の時間牛乳を飲んでいるクラスの友達を笑わせるために真剣に作戦を考えていた身としては、人を笑わせることがとても難しいことだってことくらいは小学生ながら理解していたつもりだ。

 

ましてや、漫才師は今日初めて会うお客さんを笑わせるのだ。それも数百人のまったく別の生き方をしてきた人たちを。

 

以前、関根勤さんが、「サラリーマンが宴会で身内から笑いをとるのと、芸人が客前で笑いをとるのは別次元の話」ということを話していた。

もちろん、だれしも身内を芸人並みにドカンドカンと沸かせたところから勘違いして芸人を目指す道は始まるのだろうけど、その中からどれだけの人がM-1グランプリの決勝を目指せるレベルに到達できるのか…それは野球少年が甲子園で優勝するくらい難しいことに違いない。

 

もちろん、私は昔も今も芸人ではない。

だから、芸人の影の努力を目の当たりにしたことなんてあるわけもなく、当然その現場を居合わせたわけではないからいい加減なことは言えない。

 

ただ、たとえば、森田まさのり原作の漫画で劇団ひとりが脚本を手掛けドラマ化もした『べしゃり暮らし』の中で描かれる漫才に人生をかける若者たちの姿をみて、そのひたむきな姿勢にアスリートのような一途さを感じ、あらためて漫才で人を笑わせることはかっこいいなと思った。

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そもそも森田まさのりといえば、

ろくでBLUES(ブルース)やROOKIES(ルーキーズ)といった青春不良漫画家のパイオニアみたいな人で、そんな森田氏が喧嘩、野球につづくテーマとして漫才を選んだというのもなんだか感慨深いし、部外者だけど漫才ファンとしてちょっと…いやだいぶ嬉しい気もする。

 

喧嘩、野球、そして漫才、その頂点を決める大会M-1。

 

これらは私の中で

一途さ、ひたむきさ、そして青春というテーマでつながっている。

 

とまあ、ひとすべりしたところで今回はこのへんで。