エリジウムはベーシックインカム実現後の超格差社会の見本市だった?

三橋貴明という経済評論家をご存じだろうか。

少し前に、DV疑惑でマスコミに取り上げられた人物だが、このところなぜかマイブーム到来中のベーシックインカムひとり勉強会用に例のごとくYouTubeで動画を漁っていたところ、そんな彼が、ベーシックインカムについて熱く語っている動画が目に留まった。

まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、興味深かったのは、三橋氏が行っていたベーシックインカムの負の側面についての考察。(興味のある方は、『三橋 ベーシックインカム』で検索すれば多分見つかるはず。)

ベーシックインカムはそもそも、AIが人間のシゴトを代替することで大量の失業者が出るから、その救済策として最低限の収入を保証しようという話なんだけど、AIだって、完全に自発的に動くわけではなく、当然誰かがコントロールするわけで、そうなると、AIを大量に扱える資本家と、そうではない大衆の格差が圧倒的に広がっていく可能性が極めて高いということだ。

そりゃ、AI(ロボット)を扱えるかどうかで、生産性に1万倍とか、下手をすればもっと天文学的な差が生まれるわけだから、そうなるのも無理はない。

そして、そんな状況では、もはや民主主義が成り立つかどうかも怪しくて、大資本家たちは、貴族や、もはや神のような扱いになるのかもしれない。

ただ、いくらAIが無限の生産力をもったとしても、消費する人が居なければ需給が成り立たないので、ベーシックインカムを導入して、ただ消費するだけの存在(それもそれでなんか恐え…)として生かさず殺さず…の庶民は一定数存在させつづける。

そうなると、庶民は富裕層を生かすための家畜とか、モブキャラ扱いだな、完全に。

代替可能なただの消費者。働く能力がないのだから、労働者ですらない。

おまけに公的年金とか医療保険とかも無くそうそう考えると、BIってそんな素敵な政策とも思えなくなってきた💦ただ、もはやAIが人間にとって代わることはほぼほぼ確定した未来らしいけれど。

BIが導入された未来は、果たしてユートピアか、それともディストピアか?

さて、そこで話は今回ご紹介の映画『エリジウム』である。

ーーーーーここからネタバレ含むーーーーー

エリジウム

映画の舞台は2150年代のアメリカ。超格差社会と化した未来世界で、富裕層や政治家など、一部の選ばれた人々はエリジウムと呼ばれる宇宙コロニーで病気とも老いとも無縁のまさにユートピアのような暮らしを送っている。

その一方で、庶民はというと、AIに管理されつつ、すっかり荒廃してしまった地球で貧しい暮らしを強いられている。

富裕層はエリジウムと呼ばれるコロニーで優雅に暮らし、下々の者たちはAIに管理されながら地べたを這いずり回っている。それは、まさにBIインカム導入後のディストピアを絵に描いたかのような絶望的な格差が顕在化した世界だ。

ーーーネタバレここまでーーー

広告

人を幸福にするのはテクノロジーではない

確かに人間は働かなくとも生きていけるだけの富を生み出せるようにはなる。

しかし、その生み出した富を一部の限られた人間が独占すれば、ただ格差が広がっていくだけに過ぎない。格差が広がるとしても、全体的に豊かさが底上げされるのならいいのだけど、そうではなく、一部の人間が強欲に富を独占した結果、貧困層は衣食住もままならない、という状況が待ち受ける未来も十分想像する余地があると感じる。

結局、テクノロジーが進歩すればするほど、それを扱える人間とそうでない人間の格差が広がるわけで、そうなると、人類が幸福な未来を描けるかどうかは、正義感とかモラルとか道義的意識とか、そういったある意味素朴な要素にかかってくるのではないだろうか。

これぞアメリカのB級映画(ネタバレあり)

正直、この映画に登場する未来予想に、真新しいものは何もない(笑

脳に直接デバイスを移植してデータの送受信、生身の肉体をアシストするパワースーツ。

まるで人のようにスムーズに動くAIロボット。

というか、そもそも映画の設定自体がいまいちよく分からない。

というか監督は細かいことはすっ飛ばしてエリジウムというイメージだけで映画作っちゃったんじゃないかってくらい、いろいろと荒い(笑

聞くところによると、この映画の監督、『第9地区』などのSF作品も手掛けたことで有名な方だというじゃない。あっちの方は割とディティールにも凝ってたような…。

それはそうと、なぜ、マックスとフレイはそれほどまでにエリジウム行きたかったのか?

単なる憧れ?

ワタシをスキーに連れてって的な(笑?

そもそも、マックスとは、何者だったんだろう。兵士でもない、もと警察官でもない。

ただの不良少年が更生して今は真面目に働いてます…という一般人設定にもかかわらず、エリジウムお抱えのエージェントと呼ばれるレンジャー部隊と対等以上にバトルを展開する。

冒頭、シスターに「お前は、選ばれた特別な存在だよ。」と予言されたことから推察するに、人類を救う救世主だから、監督の中では、最初からLV99スタートでいいじゃん…という便利な裏設定ありきだったのかも。

敵役の外国人俳優が、日本刀をバットのようにブンブン振り回す立ち回りのお粗末さや、なぜか屋内に植えられた桜(しかもソメイヨシノではなく八重桜)という浅めな日本文化理解は、どこかキル・ビルのパロディーのようでもある。というか、ギャグにしないと退屈で眠ってしまいそうだ(笑

加えて、世界の富裕層たちが暮らすコロニーにしては、テロリスト数人で簡単に制圧されてしまうなどありえないほどの防衛能力の低さには、もう笑うしかない。

この物語を要約するなら

あるところに、マックスとフレイという二人の子供がいました。

マックスはフレイにいつかエリジウムに連れていくからと約束しました。

そして、大人になったマックスは見事その約束を果たしたのでした。

めでたし、めでたし。

という4行で事足りる。だから、観なくてもいい(コラっ笑。

映画の最後、マックスは自らの命と引き換えに人類を救う決断をする。

「自己犠牲は、尊く美しい」

困ったときのお決まりのパターンだが、これがあるだけで途中ぐだってもなぜかいい映画だったような気がしてしまうから危険だ(笑

映画を観終わった後で思ったこと(余談)

これまでは、金持ちも貧乏人も等しく死を迎えていた。

しかし、医療が進歩した超格差社会では、富裕層は、半永久的に生き続けることができる。

そして、被支配者層は死によってどんどん入れ替わる。

被支配者層に最先端の医療を提供してしまったら、人口が爆発してしまうので、彼らが不老不死を享受することは構造上ありえない。

その結果、格差は固定化し、決して覆ることはなくなる。

しかも、支配者層は、何百年と生きる中で、世界の仕組みを熟知し、富を生み出し続け、ますます優位な立場に立つ。

人はどうしたって相対的に幸福度を測る生き物だから、いくら生活に困らないだけの物資が与えられたとしても、自分より圧倒的に恵まれた環境で豊かな暮らしをしている人たちの存在を知った途端、欲求不満に襲われる。

ダイハードからブルース・ウィリスを除いたら、割と現実っぽい世界になる…という事から言うと、エリジウムからマットデイモンを除いたら…って、ただのディストピアやないかい(笑

例えば、イーロンマスクの火星移住計画とか、この映画を観た後だと、どうしても火星エリジウム化計画に思えてならない。

今まで夜空に浮かぶ星々は、人類にとって等しく希望やロマンの対象だったわけだけど、

そう遠くない将来、地球にいること自体が選ばれなかったことの証となる世界では、人々は、空に浮かぶユートピアを、羨望と嫉妬と絶望の入り混じった想いを抱きつつ見上げているかもしれない。

もちろん、そうならないことを願いつつ。

今回はおしまい。