深夜に無性にどら焼きが食べたくなった。
厚手のジャンパーを着こんでコンビニに買いに走り、
お茶を入れて一息つきながら何気なく見始めた映画が今回の主役『あん』
レビューの異様な高評価と、
樹木希林さんが主演となればハズレはないだろうくらいに思って見始めたが、とんでもなかった。
最初は、永瀬正敏さん演じるどら焼き屋の店長が、樹木さんの秘伝のあんで繁盛する話かと思って、
「どら焼き食いながら見るのにピッタリな映画だな」
なんて思ってた自分が今となってはだいぶ恥ずかしい。
今現在、映画を観終えて10分少々、茫然自失というか言葉にならない。
例のシーンで長瀬さんとともにひとしきり男泣きもしてしまったから、涙も出ない。
あとは、空虚な体からポツポツと浮かんでくる言葉を頼みに何か感想文めいたものを書かねばという理解不能な使命感だけでこんなものを書いているのだ。
ただ。
こんなとんでもない映画に出会っといて、
「言葉にならないくらいに感動した」
で済ませたら、それはブロガー失格だし、それ以前に生きていること、主体的に何かを考えることや感じることを放棄していることに他ならない気がして、
もし、仮にここで記す言葉の全てが作者や映画監督の意図と180度真逆だとしても、自分の感じたことの自分の言葉で記す必要があるだろ、と思った。
もちろん、誘惑はある。
すでに模範解答としてのカスタマーレビューという助け船はあるのだから、それを参考にいいとこどりしてそれらしい回答とか感想を述べればいいじゃないか。
でもそれは、他の誰かの感想で、仮に
「そうそう、俺もそう思ったんだ、」と納得したところで
それは誰かの言葉に浸食された誰かの感想に洗脳されただけなのだと思う。
「間違ってもいい。だから自分の言葉で好きなように書くのよ。」
でもって、きっと樹木さん演じる吉井徳江さんならそう言ってくれるはず。
なんて都合のいい免罪符も懐に忍ばせつつ始めます。
らい病への差別意識と向き合ってきた一人の女性の生き方
らい病への差別の歴史をここで語るつもりはないけれど、想像するに、いや想像を絶するくらいに苛烈というか理不尽で不条理なものだったのだろう。
つまらない人生なんて二度というまい
徳江さんの『あん』づくりには生き方のヒントがつまっていた
別に自己啓発的なことなんてこれっぽっちも書きたくないのだけれど、
この映画に出会ったことを少しでも自分の実生活に役立てたいという気持ちもゼロにはできそうにないから、3か月後か3年後か、これを見返すことになった時のために書いておく。
未来の自分よ、人生に行き詰まったら、徳江さんのあん作りを観ろ。
「あずきの過ごしてきた時間に思いをはせて、その声に耳を澄ませるのよ。」
そんなこと思いもしなかっただろ?
確かに、小豆が日照りの日も、雨の日も寒い日も、畑で過ごしてきた時間。
自由に動くこともできず黙ってじっと耐えてきた時間。
そんな視点を持とうと意識した瞬間から、
なんだかこう、この世界にあふれる命たちの存在がグワーッと自分の中に押し寄せてくる気がした。
行き詰まってるように思えたってきっと行き詰まってなんかいないんだよ。
耳を澄ませていないだけ。自分のことしかみえてないだけで、
その気になれば、世界はみずみずしい命であふれていることに気づけるはずなんだ。
命はきっと、道を見つける。
素朴でいい演技をする女優さんだな→まさかまさかの樹木さんのお孫さんだったw
人生に行きづまりを感じている人にこそおススメの映画
言い方は失礼かもしれないけれど、
徳江さんほどシンドイ人生を歩んできた人って現代では本当にまれだと思う。
だから、自分の人生しんどいなーと思っている人は、50年間いわれのない差別を受けてきた半生を想像してみてほしい。
きっと、自分、全然だな。
徳江さんに顔向けできねえな、みたいに思う部分があるんじゃないだろうか。
もちろん、この映画はハンセン病(らい病)患者さんたちの苦しさを世間の人に広く知ってもらう目的で作られたものかもしれないけど…それにとどまらず、
特別なことなんて1つもなくても、ただ家族や友人と一緒に暮らせることが、
そして月や木々や桜の花やどらやきに囲まれて生きることが、
自分の手足で自由に世界を闊歩できることがどれほど素晴らしいことかを再認識させてくれるものだと思うのです。
樹木希林さん最後の主演作。ぜひ。
それでは、また。