レボログ流NBAプレイヤー列伝『ダーク・ノビツキー』編

プレイヤー名鑑
Dallas Mavericks power forward Dirk Nowitzki (41) celebrates after scoring his 25,000 career point during the first half of an NBA basketball game against the New Orleans Hornets in New Orleans, Sunday, April 14, 2013. (AP Photo/Jonathan Bachman)

今回は、独断と偏見でお送りするマイ・フェイバリットNBAプレイヤー列伝第2弾

と題しまして、

ブロンドヘアーをなびかせてコート狭しと駆け回る姿も凛々しい(笑

『ダーク・ノビツキー』先生にご登場願いましょう。

 

MEMPHIS, TN – APRIL 16: Dirk Nowitzki #41 of the Dallas Mavericks celebrates during a game against the Memphis Grizzlies on April 16, 2014 at FedExForum in Memphis, Tennessee. NOTE TO USER: User expressly acknowledges and agrees that, by downloading and or using this photograph, User is consenting to the terms and conditions of the Getty Images License Agreement. Mandatory Copyright Notice: Copyright 2014 NBAE (Photo by Joe Murphy/NBAE via Getty Images)

 

 

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先見の明をもつあるコーチとの出会い

 

ダーク・ノビツキー※と言えば、何といっても、それまでの長身選手の常識を覆すようなアウトサイドを起点としたプレイスタイルが最大の特徴といっていいだろう。

7フッターの身長がありながら、NBAでも屈指のアウトサイドシューターとしてこれまでも数々の記録を打ち立ててきた。

SAN ANTONIO, TX – March 2: Dirk Nowitzki #41 of the Dallas Mavericks takes a shot during a game against the San Antonio Spurs at the AT&T Center on March 2, 2014 in San Antonio, Texas. NOTE TO USER: User expressly acknowledges and agrees that, by downloading and or using this photograph, user is consenting to the terms and conditions of the Getty Images License Agreement. Mandatory Copyright Notice: Copyright 2014 NBAE (Photos by D. Clarke Evans/NBAE via Getty Images)

特に、ペリメーター付近から放たれるフェイダウェイ気味のターンアラウンドジャンパーは、その長身に加え、片膝を前に突き出すような独特のフォームから放たれるものだから、ディフェンスはもうお手上げ。ただただ、外れてくれるのを願うしかない、という必殺技である。

※あ、あんまり”ノビ様ノビ様”言ってると、だいぶ鬱陶しいので、ここからは、敬称略でお送りさせていただきます。悪しからず。(しかし、この後もちょくちょく”ノビ様”言ってます)。

 

NBAでフェイダウェイジャンパーの名手と言えば、真っ先に名前が挙がるのはマイケルジョーダン、そして、彼を完コピした上、

 

「フェイダウェイで決められる範囲でいったら、僕より上だよね。」

とジョーダン自身も太鼓判を押したという、”ブラックマンバ”ことコービ―・ブライアントのレジェンドお二人。

 

ただ、このノビ様…じゃなくてノビツキーも、間違いなくNBA史上に名を刻むフェイダウェイジャンパーの名手といえるだろう。

 

そんなノビツキーのユニークなプレイスタイルを語る上で欠かせないのが、ドイツ時代から個人指導を続けるコーチ・ホルガー・ゲシュワイザーの存在だ。

 

15歳になったノビツキーは、ドイツのプロバスケットボールリーグ2部に所属するDJKヴュルツブルクの下部チームに参加する。

この時ドイツでは知らぬ者がいない元スター選手でもあったゲシュワイザーの目に留まり、ノ彼から週に2〜3回の個人指導を受けるようになる。

ゲシュワイザーの下でトレーニングを始めて2年目のこと、ノヴィツキーはゲシュワイザーからこんな質問を受けたという。

「君は世界の最高峰に挑戦するか、それとも地元の英雄のままでいるか、今ここで決めなければならない。もし君が後者を選ぶなら、もはやそれを阻む者は誰も居ないので、我々のトレーニングは終わりだ。もし最高の舞台でプレイしたいのであれば、我々は毎日特訓をしなければならない。」

その問いに対し、ノヴィツキーは2日間考えた末に、より高いレベルを目指すことを選び、それ以来ゲシュワイザーとの特訓は、より厳しさを増し、毎日のように行われるようになった。

 

そして、その激しくも緻密なトレーニングによって、高さだけに頼らない、アウトサイドから得点力を武器とする今のスタイルが徐々に確立されていった。

 

もし、身長だけで彼をセンターだと決めつけ、それまでの常識に従って、インサイドでのプレイばかりを練習させていたら、おそらく今に至るまでのノビツキー伝説は生まれなかったことだろう。

 

それだけ、ゲシュワイザーの先見の明は見事だったのであり、それまでの常識を覆すような長身のペリメーターシューターというプレイヤー像は、ここから新たな常識としてヨーロッパを中心に定着していくこととなる。

 

もちろん、それまでにも、アルビダス・サボニスのようなアウトサイドから得点を取るビッグマンは存在したのだと思う。

 

しかし、スリーポイントコンテストで優勝するほどのクオリティーとなると、やはりノビツキーの存在感はちょっと別格だと感じる。

 

ちなみに、今なお、ノビツキーのゲシュワイザーの師弟関係は健在で、NBAのシーズン中も、わざわざドイツから呼んでは、指導を仰ぐほどだという。

 

バークレー「もし、NBAに来たきゃ俺に電話してこい」

 

19歳になったノビツキーはドイツ国内のみならず、海外からもその活躍を注目される選手に成長していた。

 

そして、1997年、ナイキが主催する「フープ・ヒーローズ・ツアー」でNBAのスター選手であるチャールズバークレー、そしてスコッティー・ピペンらと対戦する機会に恵まれる。

 

30分間のエキシビジョンマッチではあったが、そこでノビツキーはバークレーの上からダンクをかまし、

 

あのバークレーをして、

「コイツは天才だ。もしNBAに来たかったら俺に電話してこい。」

とまで言わしめたのだという。

 

さらに、ノビツキーの活躍はこれにとどまらず、翌年行われた※ナイキ・フープサミット(アメリカジュニア選抜VS世界ジュニア選抜)で33得点、14リバウンドの大活躍。

相手チームには、アル・ハリイントンラシャード・ルイスら後のNBAプレイヤーとなる逸材も多く在籍するなか見事撃破し、それきっかけで一気にNBAスカウトたちの注目の的となる。

 

※個人的には、1999年に開催された大会で、世界選抜の一員として選ばれた田臥選手が見せたドッジボールパスが印象的。ちなみに、同大会には、スペインの至宝と言われるパウ・ガソルも出場していた。

 

フランチャイズプレイヤーとしてマブスの顔に

1998年、ノビツキーはNBAドラフトへのアーリーエントリーを表明。

その当時、ボストンセルティックス(以下、セリティックス)で指揮を執っていたリックピティーノは、

 

長身かつ優れたアウトサイド―シューターであるというノビ様のプレイスタイルを一発で気に入り、

 

「まるで、ラリー※の再来じゃないか!」

ラリー・バード…80年代マジック・ジョンソンと雌雄を決したセルティックスの伝説的プレイヤー。決して身体能力に恵まれていたわけではないが、卓越したシュート技術とクレバーな判断力、コートビジョン抜群のパスでチームを3度の優勝に導く。「ラリーは、勝つためになら、戦車だってひっくり返すさ。」かつて、ともにプレイしたチームメイトが彼を評して言ったこの言葉からも、バードの勝利に対する貪欲な姿勢がうかがえる。

 

と一発でノビツキーのことを気に入り、ドラフトで10位指名することを明言するも、6位の指名権を持つダラス・マーベリックス(以下、マブス)が先に彼を指名し、そこからノビツキーのNBAキャリアがスタートすることとなった。

 

ブルズ時代のマイケルジョーダン(復帰後は、ウィザーズでもプレイしたけど)、レイカーズのコービー…スパーズのダンカン。そして、マブスのノビツキー。

いかに、スター選手といえど、キャリアを通して一つのチームでプレイし続けることは、ものすご~く難しいことなのだろうと、数々の選手の移籍を目にするたびに思わされる。

だからこそ、一つのチームに忠義を尽くす姿勢というか、忠臣蔵的な武士道メンタリティーと言うか(なんだそれ笑)、そういう”義”と”忠”を感じさせるようなキャリアの歩み方を続けるノビツキーという選手には、他のプレイヤーとはまた違った敬意のようなものを抱いてしまう。

 

もちろん、移籍一年目で優勝しちゃうKGのような例もあるわけで、一概にはいえないんだろうけど…あくまで個人的な趣味の話ということで(笑

 

史上6人目となる3万得点達成!

 

2017年3月に行われたレイカーズ戦で、ノビツキーは通算3万得点1万リバウンドを達成。

通算3万得点という数字は、ヨーロッパ出身の選手としては、史上初の快挙である。

 

ちなみに、ノビツキーが記録達成した時点で過去に3万得点を達成したプレイヤーは、

カリーム・アブドルジャバ―(元ロサンゼルス・レイカ―ス)、カール・マローン(元ユタ・ジャズ)、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ、ワシントン・ウィザース)、コービ―ブライアント(元ロサンゼルス・レイカース)、ウィルト・チェンバレン(元ロサンゼルス・レイカ―ス)の5人しかいない。

※ちなみに、2018年1月23日に、レブロン・ジェームズが史上最年少で史上7人目の3万得点んを達成した。

 

この錚々(そうそう)たる顔ぶれを見てもこの数字がどれだけすごいものか分かるというものだ。

 

今も続くスティーブナッシュとの友情

 

PORTLAND, OR – MAY 2: Michael Finley #4, Steve Nash #13 and Dirk Nowitzki #41 of the Dallas Mavericks react to a call during Game six against the Portland Trail Blazers at the Western Conference Quarterfinals during the 2003 NBA Playoffs at The Rose Garden on May 2, 2003 in Portland, Oregon. The Trail Blazers won 125-103. NOTE TO USER: User expressly acknowledges and agrees that, by downloading and/or using this Photograph, User is consenting to the terms and conditions of the Getty Images License Agreement. Copyright 2003 NBAE (Photo by Sam Forencich/NBAE via Getty Images)

 

私がマブスとノビツキーの存在に注目しだしたのは、やはりナッシュ、フィンリーらと結成したいわゆる三銃士時代からだろうか。

 

フィンリーは、どちらかというとマイケルジョーダンの系譜を継ぐ、アスリートタイプのSGという印象だったけれど、ゴリゴリの黒人が大半を占めるNBAに置いて、

 

ナッシュ&ノビツキーという端正な顔立ちのどちらかといえば華奢でさえある白人コンビというのが、とりわけ印象的だった。

 

スピーディーかつトリッキーなドリブルとパスで相手を翻弄するナッシュ、

そして、長身に似合わない圧倒的なアウトサイドシュート精度を誇り、ドライブもできるノビツキー。

 

どちらも、当時は私の想像の斜め上を行く存在で、

まさに、NBAの新時代を感じさせる存在だった。当然、一発で彼らのファンになってしまったのはいうまでもない。

 

また、この二人はコートを離れても親友同士。

 

Dallas Mavericks players Dirk Nowitzki, left, of Germany and Steve Nash, right, of Canada, acknowledge cheers from fans as they attend the Seattle Mariners game against the Texas Rangers, Sunday, April 6, 2003, in Arlington, Texas. Nowitzki threw out the first pitch to Nash in the prior to the11-2 Mariners win. (AP Photo/Linda Kaye) ORG XMIT: ARL108

その親交はナッシュが移籍した後も続き、オフには、一緒に野球やサッカー観戦に出かけたりすることもあるようだ。

 

ORG XMIT: *S0416812032* Phoenix Suns’ Steve Nash (13) hugs Dallas Mavericks’ Dirk Nowitzki seconds after the Mavericks defeated the Suns,102-93, in Game 6 of the NBA Western Conference Finals basketball series Saturday, June 3, 2006, at U.S. Airways Center in Phoenix. The Mavericks advance to the NBA Finals to face the Miami Heat. (AP Photo/Matt York) PNU129 06042006xSPORTS 06222006xQUICK 07042008xQUICK

 

まだまだ黒人社会の色合いが強かったであろう当時のNBAという過酷な世界で、しかも本国アメリカ出身ではないエイリアン的存在…そういった意味ではどこかスティングが歌ったような疎外感を感じていたのだろうし、そういう面でも通じ合う部分があったのだろうか…などと想像を巡らせてみたりしたものだ。

余談ですが、このビッグスリーを招集したのが、ご存知マイク・キューバンオーナーその人で…まあ、いろいろと話題を提供してくれる楽しい方(笑。気になった方はググってみていただきたい。

 

マブスが強くなったのも、キューバンがチームを買収してから、というのは事実で、そういう意味では良いオーナ―様ということなのだろうが、何となくジョブスとかがオーナーになっててもあんな感じで、いろいろとお騒がせだったのかも(笑

 

まあ、後付けで申し訳ないが、ノビツキーにとって、マブスにピックされたことは幸運だったといえるだろう。

 

ドイツ時代からの彼とコーチの意向を汲んで、ポイントフォワードで起用して、彼の長所を殺さぬよう配慮してくれたドン・ネルソンがヘッドコーチにいてくれて、加入からほどなくして、キューバン体制になって一気に強豪チームへと駆け上がることができたわけだから。

 

まあ、もし仮にセルティックスが指名していたら…バードのようなスーパースターになっていたかも…それはそれであり得ないことはない話…でも、ま、所詮はifだから。

 

当時の西地区は超がつく強豪ぞろい

 

しかし、当時は、ダンカン&ロビンソン”ツインタワー”を擁するスパーズ、そして、シャック&コービーのレイカーズとウェスタンカンファレンスは強豪がひしめき、毎年プレイオフへは出場するものの、なかなか勝ちきれない時代が続くことになる。

 

ナッシュとの別れ、そしてチームの中心へ

 

2004-05シーズンを迎えるにあたり、FA権を得たとはいえ、チームの中心であるナッシュを手放すわけはなく、当然、再契約するものとばかり思っていた。

しかし、なぜかキューバンは、ナッシュとの最高額の契約にサインせず、ナッシュは古巣サンズへと移籍してしまう。

それまで、長年苦楽を共にしてきたノビツキーにしてみれば、親友がチームを去ったのは、まさに青天の霹靂だったのだろう、その時の落ち込みようは相当なものだったという。

 

しかし、新たなメンバーで迎えたそのシーズン、ノビツキーは平均26.1得点9.7リバウンドを記録して、自身初となるオールNBA1stチームに選出される。

 

これまた、ヨーロッパ出身のプレイヤーとしては史上初、というかアメリカの高校・大学に通わなかったプレイヤーとして初の快挙だということ、というか、ノビ様のやることなすこと、史上初過ぎてまとめきれねえ(;´∀`)

 

翌2005-06シーズンを迎えるにあたって、フィンリーを放出し、これで三銃士体制から、完全にノビツキーを中心に据えたチームへと舵を切ることになる。

 

その年、ノビツキーはこれまで以上にアウトサイドシュートの精度を向上さえ、3ポイントFG%は驚異の4割越え(40.6)、そして、その年のスリーポイントコンテストでは見事優勝を果たしている。

 

ちなみに、NBAスリーポイントコンテスト歴代最長身の優勝者としての記録は破られていない…これを破れるのは…ポルジンギス君くらいか。

 

この年、マブスはシーズンを60勝22敗の好成績で終え、カンファレンスセミファイナルでは、激闘の末、ついに念願だった打倒スパーズを果たすと、続くカンファレンスファイナルでは、盟友ナッシュ率いるサンズと対戦。このシリーズも制したマブスは、ついにNBAファイナルへと駒を進めた。

 

優勝をかけて戦う相手は、奇しくもシャックがセンターを務めるマイアミ・ヒート。

先に2連勝するも、そこから覚醒したウェイドを止められず4連敗で優勝にはあと一歩手が届かず。このシリーズ全体を通して、ノビツキー自身も極端なシュートスランプに陥るなど、戦犯として非難されることとなる。

終わりよければすべてよし、逆もまたしかり。

ということで、ノビツキーにとっては、達成感とほろ苦さの残るシーズンとなった。

 

その次のシーズンは別記事でもちょろっと書いた通り、シーズン1位の勝率(67勝15敗)を残しながら、プレイオフ1回戦敗退という悲しい年だったので割愛(笑

 

その後も、ノビツキー自身は毎年25点前後の平均得点を記録し、チームも50勝以上してプレイオフ常連に名を連ねるも、一回戦で下位シードのチームに敗れるなど、

 

周囲からは、

「もう、マブスは終わったかな・・・」という声もささやかれ始めていたらしい。

かくいう私自身も、そのころは、ナッシュのサンズにお熱だったので、何も偉そうなことはいえない(;´∀`)

 

悲願の初優勝、なる!

 

しかし、ノビツキーはあきらめていなかった。

 

それは2010-11シーズンのこと。

その年57勝の好成績でシーズンを終え、3位でプレイオフに進んだマブス。

しかし、上位には、スパーズ、そして昨年まで2連覇中のコービー擁する王者レイカーズ待ち構えている。

 

ただ、その年のマブスは何かが違った。

これまで、度々涙をのんだ1回戦でブレイザーズを4勝2敗で危なげなく下すと、ウェスタンカンファレンスセミファイナルでは、2連覇中のレイカーズをなんとスイープ(4連勝!)。

 

カンファレンス決勝では、デュラント&ウェストブルック擁する若さと勢いのサンダーを下し、ついに2005-06シーズン以来となるNBAファイナル進出を決めた。

 

その対手を務めるのは、これまた皮肉にも再びマイアミ・ヒート、しかもチームを率いるのは、あの”キング”レブロン・ジェームズである。

 

(ノビ様、またまたシュートスランプにならんといいけどなあ…)

そんな私の心配を他所に、そのシリーズのノビ様は、まさに神がかっていた…いや神っていた(笑

 

試合によっては、やや沈黙気味の様子も見られた相手エース・レブロンを尻目に、終始勝負所で大事なシュートを決め続けた。

 

序盤は一進一退だったが、勝負どころではマブスが優位にシリーズを進め、終わってみれば4勝2敗(図らずも、前回破れたのと同じ星取)で勝利を手にした。

 

というのが、私の当時の印象なのだけど、よくよく調べてみると、実は左手を怪我した状態での苦しいシリーズだったこと、勝利を収め2連勝のきっかけとなった第4戦には高熱を押してプレイしていたこと、第6戦は、意外とシュートスランプにも苦しんでいたことなどもデータから判明。

 

なるほど…データの上では、決して順風満帆なファイナルではなかったのだな…。

ただ、私の中では、やはり勝負を決定づける場面で、外からしっかりシュートを沈めていた雄姿が鮮明に記憶されている。不調や怪我の影響など感じさせないほど、それは神々しいプレイの数々だった。そう、要するに、私の中このシリーズこそ、”終わりよければ、すべてよし”なのだ。

ノビツキーの最終的なファイナルでのスタッツは、平均26.0得点、10.2リバウンドというシーズンを上前るお見事しか言いようのない出来映え。

当然、ファイナルMVPも受賞し、ついに、悲願の初優勝を果たしたのだった。

 

勝負所で、いつも以上に力を発揮できるか、それがスター選手とスーパースターの違いである。

誰が言ったか、ふとこんな言葉も思い出される、確か言ったのは、MJだっけかな。

その意味では、間違いなくこの優勝で、ノビツキーはスーパースターとしての地位を不動のものとしたといえるだろう。

 

Dallas Mavericks power forward Dirk Nowitzki (41) celebrates after scoring his 25,000 career point during the first half of an NBA basketball game against the New Orleans Hornets in New Orleans, Sunday, April 14, 2013. (AP Photo/Jonathan Bachman)

 

現在39歳。2017-18シーズンも現役続行を表明し、その伝説は、今なお現在進行形である。