【映画】『チキンレース』は現代を舞台に浦島太郎のその後を描いた意欲作。

映画レビュー

もし、19歳のまま永い眠りについた青年が、45年後の世界で目を覚ましたら…。

 

見た目はおっさん、心は青年。

 

というと、そう。

まるで、某国民的ミステリー漫画のような設定ではないか(笑

 

そんな設定の特殊性ありきのB級映画かと思いきや、

ところがどっこい、いろいろと奥深い映画だったのである。

 

あ、今回ももちろんAmazonプライム会員特典プライムビデオで視聴させていただきました。

 

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浦島太郎は、爺になった後どうしたのか

 

この映画で繰り返し、登場する浦島太郎という言葉。

確かに、寺尾 演じる飛田は、まるで現代の浦島太郎のように、気が付いたら45年もの年月が流れた未来世界に64歳のジジイとして舞い戻ってきたかのようだ。

 

昔話、浦島太郎では、年老いた浦島のその後は描かれていない。

竜宮城での悦楽の時を過ごした後、その代償を払うかのように玉手箱によってよぼよぼの老人へと変えられてしまった浦島。

 

あの話がどのような教訓を含んだものなのか分からないが、

とりあえず、老人となった浦島は、一般的にはバッドエンドを迎えたということになっているのではないだろうか。

 

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しかし、果たして本当にそうか?

 

浦島太郎とは異なるが、童話の類で言うと、

俗にいうシンデレラストーリーと呼ばれるような、うら若き少女が、王子に見初められ、やがてその妃になるというような物語も、王子と結ばれたところで、話は「めでたし、めでたし」となる。

 

なぜ、そこでめでたしめでたしといえるのか?

 

本当は、そこがゴールではなく、そこから夫婦のいざこざや、嫁姑問題や、王族の中に嫁いだ一般家庭出身者としての苦悩や試練が始まるのではないのか。

 

もし、童話作品など、子供向けに作られた作品一般が、人生を生き抜くための教訓を含むことをその要件とするのなら、

本当の意味での大変さや容赦の無さを描くべきではないだろうか。もし、万が一たとえそれが全く面白くなくなったとしても(笑

 

少なくとも、人生訓をガッツリと詰め込むのであれば、結婚した瞬間!ハイ、ココ!みたいな、そんないい加減なところで話を都合よく終わりにしてはいけないのだと思う。

 

もし、子供受けする夢うつつのメルヘンを描きたいのなら、最初から人生訓を含もうなどと欲張らず、単純に、子供の目線に立った楽しいお話を描けばいいのだ。

つまり、浦島にしろ、シンデレラにしろ、どっちつかずでいかにも中途半端なストーリーなのである。

 

浦島太郎の話から大分明後日の方向へと話が飛躍してしまって、最後は、半ばおっさんのグチのようになってしまったが、

 

そこへきて、寺尾 聰演じる飛田青年(心は青年のままなのだから敢えてこう呼びたい)の振舞いの何と気持ちのいいことか。

 

嫌なものは嫌と言い、好きなことを好きだといい、

そして、照れながらも感謝の言葉はしっかりと口にし、自分の弱さも隠さずにさらけ出す。(赤線引いたとこ、ポイントなのでテストに出ますよ―笑)

 

そして、何よりも友情に熱い

というか暑苦しいくらいだ。

 

だって、会って間もない相手に、

「おめーは、俺の親友だからよ」

何て言わないでしょうよ、普通、映画でもさ(笑

だた、それを嫌味にも不自然にも感じさせないのが、飛田という青年の持つ魅力でもあるのだろう。

 

「間違っててもよ、楽しいことしちまうのが不良ってもんだ。」

そんな印象的なセリフまわしにもグッときたが、

 

なんだろう、この何とも言えないチャーミングさは。難しい役どころを見事に演じた寺尾氏はもちろん見事だが、

 

一言で言うと、

その理由は彼の

自分を偽らない素直さにあるのかもしれない。

 

だから、皆、ウソ偽りない飛田青年の真っすぐな瞳に見つめられ、屈託のない笑顔を前にすると、もう好きにならずにはいられなくなる…そりゃ男女関係なくモテるわけだぜ・・・。

ホント、不良でジジイって質(たち)わりい。

 

過剰なまでのはしゃぎっぷりも、失われた青春を必死に取り戻そうとせんがためか。

 

もし、私が飛田青年と同じ立場だったら、同じようなことをするのかなぁ。

 

「青春ってこういうバカなことをするもんだろうがぁぁぁぁぁ」

とか叫びながら、手あたり次第、当世風に言うなら、パリピ的なバカ騒ぎを、それこそ死に物狂いで!(こえーよ笑

 

ただ、肉体は64歳だが実質19歳の青年が、彼にとって異世界ともいえる未来世界にあっという間に順応し、誰よりも楽しそうに満喫している様には、ちょっとだけ違和感を覚えた。

もう少し、現代の最新テクノロジーを前に動揺するようなシーンを描いてもよかったような気もするが、制作者としては、時代が変わっても、人と人が生きることの基本は何も変わってねえんじゃね?というメッセ―ジを伝えたかったのかもしれない。

 

これは、全くの余談だが、著者はどうも、若造とジジイがコンビを組む映画に弱いようである。それは、どちらからも一定の距離を置くものの宿命か。あるいは、単に個人的な性癖(趣味)か。

中盤から後半にかけては、いかにも青春ロードムービーにありがちなお約束の展開がまっているにも関わらず、それがわかっていながら、やめられない、止まらない(笑。

 

それはともかく、

 

若さとは何か、老いるとはどういうことか。

どこかSFチックでもあり、別段重いテーマを扱った作品ではないけれど、

観ながらふと、そんなことも考えさせられる厚みのある映画ではあった。人間、いつまでも気持ちだけは若くありたいものである。

 

人生は、どこまでいっても、チキンレース。

それにしても、あいかわらず、寺尾 聰はサングラスがよく似合う。