いきなりだけど、
ビッチ・・・じゃなくて、”ぼっち”という言葉が嫌いだ(笑。
というか、ビッチと呼ばれるのも嫌いだけど(てか、呼ばれたことあるって人います?(笑
ぼっちってのは言わずもがな、ひとりぼっちの略語なんだろうけど、
この言葉のやっかいなところは、そこに最初からネガティブな意味が込められていること。
例えば、ぼっちという言葉に多少文学的な高尚な香りを漂わせると”孤独”という言葉に変換できると思うんだけど、この言葉はそれに比べると意味的に大分フラットな気がする。
もちろん、孤独死だとか、某国営放送がでっちあげた陰鬱なイメージもあるにはあるけれど、どこか一人凛として生きていく強さのような、孤高という言葉にも通じるようなカッコよさが感じられる。
たいして、ぼっちだよ、問題なのは(笑
この時期だと、まあ、あれですよね、クリぼっち問題ですよね?
みなさんの関心事は。
ひらがな3文字というのもいかにも間抜けだけれど、
それよりも腹立たしいのは、前述のとおり、一人でいるという状態に対して問答無用でネガティブなレッテルを張り、しかも、他者と話題を共有するために、あまつさえ、ぼっちという言葉を共通言語として了承したうえで、使用することすら強要されることだ。
ちょっと大げさかもしれないけど、基本、ひとり大好きな私にとっては、自分の宗教を否定されているかのような…なんだろう、本能的に自分の生存が脅かされる危機感のようなものを感じて、こうやってハリネズミのごとく、ささやかな反撃に転じているのかもしれない。
あるいは、言葉ってのは、もっと大事に使おうよ~というような、誰に対してわからない老婆心がはたらいた、とか?
まあ、ここで、日本語としてけしからん!とか書き出すと本当にクソじじい化に拍車がかかりそうで自分でも怖いので、出かかった言葉をグッとこらえる自主規制も多少は…。
とかなんとか言ってる間に、きっと次あたりの広辞苑の改定で、当たり前のように
「ぼっち」という言葉が日本語として採用されていくのかな…それはないであってほしいなぁ(どっちだよ)。
まあね、でも、実際
「え?君、今年もクリぼっちなの?」とかなんとか冗談めかして話を振られて、
「え?なんすか、ぼっちって?そんな日本語、私の辞書にはございませんけど?」
とかなんとか返すのも、それはそれで角が立つというか。
(うわ~、こいつめんどくせえ~。)
と思われるのは必至なので、そこんところで
「はあ・・・そうなのよ、誰かいい人紹介しておくれやす~。」
とかお道化てその場をやり過ごすってのが、まあ、この時期あと何回か続くんだろうなあ…嗚呼、めんどくせ~めんどくせ~
というわけで、
一人って最高~!てかなんかカッコよくね?
をひらがな3文字で表すクールな日本語なんて、タモリさん辺りが広めてくれねえかなあ…。ああ、でも、いいとも終わったんだった…発信力。じゃあ、お願い!みうらじゅん先生。
まあ、そんなところで、今年もクリぼっちほぼ確なタカハシでした。
ではでは。