ブログを書くことはダンジョン探索型RPGだ

ブログ

最近、ブログを書く時のレイヤーが1層深くなった気がする。

 

といっても、別に深い内容が書けるようになったとか、文章力が上がったとかではなく、書くネタの範囲が広がったという感じ。

レボログ
レボログ

読まれるかどうかは別として。

 

今までは、

テーマを決めて、なんとなくプロットを書いて、それに沿って清書するみたいな流れだったけれど、

 

それに加えて、考え事をするために書く、とかライブ感を楽しむために書く。

みたいな手法を試したりしている。

 

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10年書き続けられるスタイルで

 

もちろん、読まれる記事の書き方みたいなものは、それなりにちゃんとあって

それから外れるとまあ、読まれない笑

 

だけれど、読まれる記事の書き方をきっちり守って書いた記事は、どれも形が似通っているので無個性だ。そして、何より書いていて楽しくない。

 

ブログを仕事と割り切れば、それでもいいけれど、好きでもないし楽しくもないことをやってお金を稼ぐのもいい人生とはいえないだろ?という心の声に正直になるなら、やはり楽しんで書く…は捨てられない要素なのだ。

 

ボクは客に媚びない定食屋や中華屋さんが好きでたまに行くのだけれど、

愛想も悪いし、店内も小汚いのになぜか居心地がよく、リラックスして食べる親子丼や麻婆豆腐の美味いこと美味いこと。

 

そこで、ブログでもそういう客に媚びない愛想の悪さ(笑)を取り入れられないかと思っていて、それは何かと考えたら読まれる記事の書き方なんて気にせず自由奔放にあふれ出した言葉をお届けするということなのだと思った。

 

そうして書いているときはある意味無心になれるし、気持ちもリラックスできて楽しい。

このやり方なら無理なく続けられる。

 

書くたびにストレスを感じながら…そんなやり方では10年続けることはできない。

そして、それはいい取り組み方とは言えない気がする。

 

書くこと自体にメリットがありまくる

 

書くこと自体メリットがあるなら、たとえそれがお金にならなくても文句はないはずだ。

・自分のまとまらない考えが書くことで整理できる
・イライラしていた感情が書くことで客観視でき、気づいたらスーッと鎮静化する
・毎日書いていると、ちょっとした作家気分に浸れる
レボログ
レボログ

まあ、最後のはともかく

 

書くとたいてい、頭の中で考えていただけでは思いつかいアイディアが浮かんでくるし、書くことで思考のプロセスが明確になるから、

読み返しているうちに考えが整理できて堂々巡りになるのを防げる。

 

ブログは脳の外付けHDD

 

ボクは、ユーチューブにアップした動画をその都度ゴミ箱に放り込んで消去するのが好きだ。

というか、自分のパソコンのHDDが埋まっていくのが嫌いなので、できるだけスペースを空けておきたいという願望がある。

 

ブログもまさに、ユーチューブと同じ。

いや、もっと大きな役割があって、それは脳という巨大なHDDから余計な情報を取り出して消去する機能だ。

つまり、ブログに書いたら安心して忘れていいということにしている。

だって、忘れたら読み返せばいいのだから。

 

たとえば、買い物メモとか、気になる名言とか、その程度のことなら、スマホのメモ帳やツイッターに記録して済ませられるかもしれない。

 

でも、とりとめもない考えだったり、ある映画を観て感じた印象だったり感動だったり、140文字に収まらないものはどうすればいいの…ブログに書きゃいいのです。

 

というわけで、ボクの場合、日常の中でちょっとでも心が動く瞬間があったら、

なぜ?どうして?と自分に尋ねながらブログを書くことにしている。

 

でもって、もし自分が感動した感覚の10分の1でも文字にできると、意外と多くの人に読んでもらえたりすることが分かった。これはなかなか楽しい発見だった。

 

 

他にも、本を読み終わったら、とりあえず何でもいいから書く、とか。

全く事務的な作業ならともかく、何かちょっとでも思考を差しはさむ行為に対してそれなりに時間を費やしたのなら、それは十分ブログのネタになるし、むしろ文字にして残しておかないと勿体ない。

書くことは、宝探しだ

 

ブログを書くことは、ダンジョン探索型RPGをプレイしている感覚に近いかもしれない。

 

最初にこんなタイトル部分だけ思いついてしまい、なんとかそんな結論を目指してそれっぽいことをここまで書いてきたのである。

 

ただ、

そこに向けて突き進むべき思考のダンジョンを駆け降りる過程では何度も行き止まりにぶつかる。

そうやって思考が途中で詰まるのは、トラップや行き止まりに躓くのと似ているし、なんらかのブレイクスルーを感じるときは、なぞ解きをクリアした時のような爽快感がある。

 

そうやって悪戦苦闘しながらも、書くことそのものを楽しめたら悪くないんじゃ?

 

以前、ある小説の一節にこんな感じの文章があった。

 

「作家って、自分が言いたい最後の一行(結論)のために、それまで長々と雰囲気を作ってずいぶんとご苦労なことだね。」

 

確かに、もし最初から結論や言いたいことが決まっていて、そこに向けてあらかじめ決められた道筋を進むだけなら、それほど退屈でご苦労なことはない。

 

でも、書くってのはそればかりではないと思う。

もしあらかじめ結論を決めて書き始めたとしても、書いているうちに寄り道したり、まったく違う方向に話が曲がってしまったり…そうやって書く前ではたどり着けなかったような地点に到達できるから面白い…という部分がわりとある気がする。

 

だから、とりあえずノープランでタイトルだけ決めて、あとはキーボードを打つ手の赴くままに突き進む!という少々贅沢なあそびも織り交ぜながら、ブロガーという仕事なのか趣味なのか得体のしれない存在を名乗っていけたら…とかなんとか考えてたら、睡魔というモンスターと遭遇しまして。

 

レボログ
レボログ

あえなくゲームオーバーw

 

というわけで、今回は、このへんで。