高城剛の『多動日記』は刺激に満ちた予言の書

「落ち着きがない」「じっとして居られない」
たとえば、通知表の評価欄に先生からこんな風に書かれたとしたら、それは子供にとって不名誉なことに違いない。

精神医学の世界では、これを注意欠如もしくは″多動″症と呼ぶそうだ。

しかし、テクノロジーの最先端を突き進む大人にとって多動はむしろ大いなるアドバンテージになりうるという。

それを今まさに現在進行形で体現し続けている″いい大人″の非日常的な日常を綴ったのが
高城剛著『多動日記』である。

この本で印象的だった箇所

・多動という斬新なコンセプト
・多動的な人は100人に3人くらいはいるらしい
・松尾芭蕉が多動だったという見方
・多動の人にとって、コンピューターの普及はこの上ない福音
・日本では、体制は人々をソフトに固定しようとしているという観方
ex) マイナンバー 住宅ローン、終身雇用
・真の勝者は1%の金持ちではなく、インディペンデントな人たち

書評的なモノ

「数年前まで自身が実際にそのような生活をしていて、その堕落しきった日々を一切やめ、徒歩と自転車と電車移動に切り換え、すこぶる調子がよくなった僕が言うのだから間違いない。』

と、ときに「よもや校正ミスか?」と思わせるようなトリッキーな文章が登場するが、

もしかして、これは読み手に違和感を与えるための″あえての企み″なのだろうか。

かつて、某女優との電撃結婚からのスピード離婚、そしてハイパーメディアクリエイターというユニークな肩書で世間から騒がれた、著者のことだから・・・・と、勝手な邪推を挟みながら、そんな妙な表現だけを拾って読むのも、ちょっと感覚的な読書というか、アートな気分に浸れる気がするというか、今までになかった読書体験という感じ。

松尾芭蕉クリエイター説は、斬新で楽しいが、著者自身も、まるで現代の松尾芭蕉がごとく、世界各地を自らの足(もといLCC)で飛び回り、歌を詠む代わりにDJとして各地でパーティを盛り上げる日々を送っている。この本では、そこで日々目にしたことや、感じたことを、卓越した知見と先見の明およびトップクリエイターならではのユニークな視点を織り交ぜてレポートしてくれている。

文章自体は、とても平易な語り口で書かれていて読みやすい。
時おり、耳馴染みのないカタカナ語も登場するにはするけど(オーバーライトって…そっちの意味かよ(笑))。

ただ、個人的に気になるトピックやテーマが多く、途中で立ち止まって調べ物をしたり、ブログの記事にしてみたりと、なかなか最後まで読むのに時間がかかった1冊となった。つまり、それだけ内容盛りだくさんということでもある。



この本のテーマのひとつに、『これからの世界と日本ってどうなるのよ?』って事があると思うんだけど、未来をテーマにした本というと、どちらかといえばトンデモ本ばかりが目に付く中、この本は、筆者が自らの足でヨーロッパ(特に南欧)を旅して感じた肌感覚と、これまた筆者言うところの美しいテクノロジーへの深い造形とを絡めることで未来への推論を展開していく。

こういうの、アナログとデジタルとの融合っていう表現で合ってる?

とにかく、テクノロジーから離れた土臭い旅人の感慨でもなく、限られた日本の都市空間から離れず、インターネットの世界から組み立てただけの机上の空論でもなく、その二つが互いに交じり合ってなんともいえない説得力というか、バランスというか、とかくいい感じな読後感なのですよ。

だからこそ、現代の片隅で生きる自分の先に広がる未来が、アタリマエだけど、今と地続きなんだ、とちょっと身の引き締まる思いも。

ただ、1つ。

高城氏の言うアリとキリギリスのたとえ、
「現代のキリギリスは寒くなったら、LCCで温かいところへ移動する」ってヤツ。

これはさすがに、身も蓋もなさ過ぎて、正直あまり好きになれなかったけど(笑

たとえば、『グローバリズム』なんて言葉に直感的に感じる違和感も、根っこを辿るとこういう古くからの寓話的価値観(美徳)の否定が起因しているのかもしれない。
せっせと働くアリたちが貧しさに喘(あえ)ぎ、遊んで暮らすキリギリスが肥え太る世界…みなさんはどう思います?

ちなみに、この本を読むのに使ったデバイスがキンドルで、そのために利用したサービスが数万冊の本が月980円ほどで読み放題のキンドル アンリミテッド

おそらく、これもまた、高城氏言うところの美しいテクノロジーの恩恵のもたらす一端ということになるのだろう。