ウィッチャー3をプレイすることでみえてくる後悔することの意味

最近、時間を見つけては、しばらく積みゲーと化していた『ウィッチャ―3』をプレイしている。

主人公のゲラルドオジサンがめちゃくちゃ格好いいオープンワールドRPG

なんだけど、このゲームの最大の特徴は、プレイヤーの選択によって、物語の展開が大きく変化していくことだ。

もちろん、そこにはメインストーリーと直接関わるような重要な選択肢がある一方で、膨大に用意されたサイドクエストですらも、プレイヤーの選択によって結末が左右されていく。

選択肢の中には、数秒以内に判断を下さなければならないなど、時間的制約が課せられたものもあり、しかも、それが予想だにしないタイミングで不意に登場するものだから、なかなか気が抜けない。

物語の常道として、ゲーム中には、様々な人物が登場する。
その中には、絵に描いたような小悪党や卑怯者がいる一方、

「ああ、この人好きだな~。」と思わせるような好人物が何人も登場する。
そして、そんな″いいヤツ″ほど、プレイヤーの何気ない選択によって不幸になってしまったり、最悪、命を落としたりする。

たとえ、ゲームだと分かっていても、
自分が気に入ったキャラクターには幸せになってほしいと願うのがゲーマーの性だが、不意に死なれでもした日にはなんとも寝覚めが悪い。
そんなとき、脳裏をよぎるのが、リトライの誘惑だ。

特に、不穏な予感から、直前でキッチリセーブしていた時には尚更その思いが募る。

しかし、である。
そこで、ふと思い至るのは、自分は何のためにこのゲームをプレイしているのだろうということだ。

少なくとも、私にとってウィッチャー3をプレイする目的は、その世界をあたかも実際に旅するがごとく味わうことではなかったか。そして、よりその作品世界に没入するためには、ある種のリアリティーが絶対に欠かせないのだ。




リアルな世界では、リトライなんてできない。
それゆえ、しばしばムリゲー、クソゲーと揶揄される現実世界。しかし、やり直すことができないからこそ、その一瞬一瞬が貴重でかけがえのないものだと感じられるのではないか。

「後悔のない人生こそ、よき人生。」
「後悔しないように生きよう。」

そんな言葉をよく耳にするけれど、
何かに真剣に取り組むほどに(たとえそれがゲームであっても)、後悔は避けては通れないものなのだ、とつくづく思う。

確かに、後悔のない人生は素晴らしいけれど、後悔したことも含めて味わい尽くす人生も、それはそれで悪くないのかもしれない。

プレイしながら、そんな想いが去来する。
ただ、後悔に引きずられて、今を無駄にするのはあまり気持ちのいいことではない。




話をゲームの方に戻そう。

もし、ゲームの世界を味わいつくそうと思ったら、おそらくリトライはあまり役に立たない。
プレイスタイルは人それぞれなので否定はしないが、攻略本を片手に、まるで石橋をたたいて渡るように話を進めていくというのもちょっとどうかと思う。

ゲームの世界に入るこむためには、どうしても、そこに現実に類似したリアリティーが必要だ。

そして、リトライ機能も攻略本も、現実には存在しないものである以上、体験としてゲームを楽しみたいのなら、出来る限りそのいったものとは距離を置いた方がいい。

と、ふとそんなことを思ったある夜を境に、
私はこのゲームに関しては、たとえ、どれだけ望まない結末になろうとも、やり直すことなく最後まで見届けようと密かに決意したのだった。

まあ、戦闘で命を落としてしまった場合には、進行の都合上その限りではないけれど(笑

おわりに、
こんなとりとめのない内容に最後まで目を通してくれた、きっと″いいヤツ″なあなたに。
拾い物ですが、お礼としてこの作品のサントラをご紹介して結びに代えさせていただきます(このゲームは音楽がまた良いんです)。

それでは、また。

The Witcher 3: Wild Hunt Soundtrack (Full)