先日ある芸人のラジオにてゲスの極み乙女の曲が流れた。
それをきっかけに、スタジオではゲスの極みのボーカル川谷絵音の話題でひとしきり盛り上がる。
「これだけの曲を作れるんだから才能は物すごい。もしこれでイケメンだったら芸能界でもトップだね。」
川谷といえば、最近ではベッキーとの不倫騒動ですっかり世間でも有名になった人物である。
「もし、もう少しイケメンだったら、世間も”あれだけ格好よくていい曲つくるんだから、モテて当たり前だし、あいつならしょうがねえな”って感じで浮気だって許しちゃうだろ。」
ラジオの向こうにいる二人の間では、川谷が世間に叩かれているのは不細工だからだということになるらしい。個人的には、別に彼は(好みは分かれるにせよ)不細工ではないとは思うが、確かに、”不細工なくせに、いい女をもてあそぶとは何事か!”という誰に対する怒りかわからない憤りが世間を覆っているのは理解できる。
ただ、もし、彼が文句のつけようがないイケメンだったら、それはそれで、今よりも妬みや嫉みの対象になったのではないだろうか。
例えば、福山雅治あたりが不倫したらしたで、それはそれは世間の風当たりは厳しいものになるだろうと予想される。余談だが、毎年行われる福山の年末コンサートでは、今年はキャンセルが続出しているとか…ファン心理とは恐ろしいものである。
さて、叩かれていると言いながら、実はほぼ何の支障もなく、というかむしろ有名になった分、曲の売れ行きも好調(?)なゲスの極み乙女。バンド名の一部でもある”ゲスの極み”という強烈なインパクトのあるワードによって、当初こそ揶揄され針のむしろ状態だったが、今となってはそれが一種の免罪符となって、むしろ彼にひとつ箔をつけたかのような印象すら受ける。そもそも彼の歌う歌詞の内容にしたって、国民的流行歌とは真逆をいくような人間の暗部を肯定するようなものが多いし。また、彼らのファン層も、歌の内容から推して知るべしである。
もちろん川谷氏自身、あらかじめこのようなスキャンダラスな展開を見越して自らを”ゲスい”イメージで売っていったわけではないだろう。ただ、『ゲスですが何か?』と逆に開き直られてしまうと、意外と世間も叩きようがないものなのだなあと感じる。それは、お相手となったベッキーへの風当たりと比較すれば明らかだ。
ワイドショーなどをみていると「不倫は当人たちの問題であって、世間がとやかく言うことではない、謝る必要もない。」という意見をよく耳にする。私もこれにはおおむね賛成。
ただ、別に世間はとやかく言う権利どうこうではなく単純にとやかく”言いたい”だけなのだろう。
他人の不幸は蜜の味などというけれど、清廉なイメージのタレントが自ら堕落していくなんて、まるで一昔前の昼ドラのような展開がゴシップ好きのご婦人方の関心をひかないわけがない。
そして、この一連の騒動によって、リスクヘッジに躍起になった事務所のイメージ戦略などにより、今後ベッキーのような明るいイメージを前面に押し出した女性タレントが減っていくことは容易に想像できる。それはそれでちょっと残念かなとも思う。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)うごめく芸能界において、たとえ造花だとしても、枯れずに咲き続けた彼女の存在は、やっぱりなんだかんだで貴重だったんだなと感じる…って、結局ベッキーに対して肯定的なのか否定的なのか自分でもよく分からなくなってしまった…まあ、人間はそう簡単に割り切れるものではないということで。
それでは、また。