宇多田ヒカルの人間活動とその後

音楽

こんな15歳がいるのか…しかも日本人の女の子に。

先日、NHKのSONGS(ソングス)の宇多田ヒカル特集をみて、デビュー当時の彼女に感じた鮮烈な印象のことを思い出した。

 

とても15歳とは思えない大人びた(決して悪い意味ではない)雰囲気とそれまでの日本人にはなかったようなリズム。そして、同時にゾクッとするほど鮮やかに世界を切り取った歌詞の世界。

「無機質・無生物的なものの代表格として語られることの多いコンピューターも、画面を触ってみたら温かいじゃん?」という発想は、そうそう思いつけるものではない。

そして、私の好きな「traveling
個人的には、彼女の才能が余すことなく発揮された名曲だと思っている。

まずリズムとメロディーが抜群に気持ちいい。そこに彼女にしか書けない歌詞の世界観が加われば、良くならないわけがない。

明るいダンスミュージックのようで、刹那的、破滅的、享楽的、でもどこかユーモラスと一言では言い表せない奥が深い曲だ。未来的なPVと「春の夜のゆめのごとし」「風の前の塵に同じ」というクラシカルな歌詞のミスマッチもカッコいい。

宇多田ヒカル – traveling

これは宇多田ヒカル氏本人も番組内で語っていたことだが、活動休止前の彼女の曲は、どこか空想的で現実から遊離したような雰囲気があった。同時にそこが彼女の魅力でもあり、聴くものとしては、まるでファンタジーと現実の狭間で遊ぶかのように彼女の作り出す世界観を楽しんだ部分があったように思う。

よく、天才は世界を色で認識しているということを聞くが、初めて彼女の「Colors」を聴いたとき、「ああ、やっぱり彼女は間違いなく天才なんだな。」と強く感じたのを覚えている。
いや、それではあまりにつまらない表現か…。

天才と呼ばれるアーティストは数多く存在するのだから。
彼女のつくる歌の世界観は、そんな月並な表現ではあきたりない。
天才を超える、そうだ魔法少女ということではいかがだろう…って余計に陳腐になってしまった(笑

まさかの朝ドラ主題歌に

 

そして、活動を再開してからの彼女の代表曲であり、今年を代表する一曲となった「花束を君に」。

初めて朝ドラで流れていたのを聴いたときには、正直宇多田ヒカルが歌っているとは気が付かなかったという人も多いのではないだろうか。それくらい、彼女のつくるメロディーも、歌詞も、また歌い方も大きく変化していたのである。

この歌は、彼女が2013年に亡くなった母である藤圭子さんに宛てた手紙がテーマになっているそうである。そういわれて改めて聞き返してみると、「普段からメイクしない君が、薄化粧した朝」などの歌詞が胸にしみる。

そして「どんな言葉並べても 真実にはならないから 今日は贈ろう 涙色の花束を君に」というフレーズが続く。歌詞の意味を知ったせいか聴いていて思わず泣きそうになってしまった。
そういえば、これまで宇多田ヒカルの曲を聴いて涙したことってあっただろうか。

確かに、活動休止以前も彼女の歌は大好きだった。

繊細で想像力豊かで、時に鋭利な歌詞の世界、そして何度も聴きたくなるメロディーの世界は聴いていて飽きることがない。これからも折に触れて聴き続けることだろう。

しかし、これまでの彼女の代表曲の中には、私が涙を誘われるような曲はなかった。
もちろん、それは悪いことではない。そもそも涙したくて宇多田ヒカルの曲を聴いていたわけではないのだから。そして、人を泣かせる曲を作ること自体はそれほど難しいことではないだろう。

ただ、もちろん、「花束を君に」が、お涙頂戴を目的に作られた歌でないことは明らかである。それは宇多田ヒカ自身が母の死と向き合い、次へと向かう”きっかけ”として作っておかなければならなかった曲なのだと思う。

彼女いわく、以前の自分は、どこか“強がっている少女というキャラ”を通して歌詞を書いていたという。

SONGSで聞き手役をつとめた糸井重里氏は、彼女がデビューした当時から「この女の子は、歌が大好きでデビューしたはずなのに、どうしてこんな苦しそうな歌い方をするのだろう」と感じていたというが、まさに慧眼である。強気な女の子というキャラクターは、素の彼女に、歌い方にまで影響を及ぼしていたのだ。

“utada”は魔法少女を卒業し、そして母になった

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彼女は、音楽活動を休止している間に、イタリア人の男性と結婚し、第一子となる男の子を出産した。

「人間って、自分のアイデンティティとなる部分を形成する最も大事な最初の2∼3年の記憶がまるでブラックボックスのようにすっぽり抜け落ちてしまっている。きっと、そこから悩みや苦しみが生まれてくるはずなのに…それってすごいことですよね、子育てをして子供と向き合ってると、その頃の自分のことがおもいだされてくるようなんです、きっと自分もこんなときこんな表情してたんだろうなとか、親にこうしてもらってたんだろうなとか。」

彼女いわく、子育てや”人間活動”を通して、宇多田ヒカルの歌の世界に“率直さ”が生まれたと感じているそうだ。それは、歌詞もそうだし、また、歌い方も意識して無理のない歌い方にしているのだという。

確かに、「」など活動再開後に発表された楽曲を聴いてみると、かつての早熟で奔放で想像力豊かで、時に解釈の別れるような曖昧さを残した歌詞の世界はなりを潜め、歌のメッセージも実体験をもとにしたシンプルで温かみのあるものへと変化したように思える。彼女自身、自分の歌にリアリティーが増したと言われ嬉しかったという。

宇多田ヒカルも、少女から母になったということなのだろうか。
いや、そんな月並みな言葉では表しきれない変化が、きっと彼女の中であったはずだ。
活動休止期間中の様々な体験を通して彼女が得たさまざなな実感。そのリアルな手ごたえこそが今一番彼女にとっての大きな財産であり、支えとなっているのかもしれない。

最近では、若手のアーティストや、同時期にデビューした椎名林檎とコラボするなど、今までにはなかった形での活動も精力的に行っているようで、今後、その変化が彼女の音楽活動にどのような形で表現されていくのか、ファンとして楽しみに待ちたいところである。

それでは、また。