実名を知りたがる海外ゲーマーたちの不思議

今回はちょこっとオンラインゲームの話。

ネット対戦などをしていると、
しばしば海外のプレイヤーとフレンドになることがある。

もちろん、私は相手の素性を全く知らない。
純粋なゲーム上の知り合いである(少なくとも私はそのつもり)。

快適にゲームを楽しむため、相手のプレイスタイルやゲームに対する取り組み、考え方などを理解しようとはするが、それ以外の彼(彼女)のプライベートな部分を詮索しようとは思わない、というかあまり興味が無い。

私は、ただゲームを楽しみたいだけであり、対人戦はその重要な要素ではあるにせよ、ゲームをする目的は、そもそも友人を作ることではないからだ。

普段からオンラインゲームをプレイされる方ならお分かりだと思うが、ゲーマーたちはそれぞれに“ID”と呼ばれるハンドルネームを使って互いを認識している。

たとえば、“Gamer_X4645”“PPPCXS321”などIDは主にアルファベットと数字を組み合わせたものを使うことが多い。相手の素性を知ろうと思わない私にとって、プレイヤーの識別はそれで十分だ。

一方で海外のプレイヤー(主に英語圏)としばしば一緒にプレイするようになると、突然「本名を交換しよう」と提案されたりする。

…なぜ?私にはこの感覚が理解できなかった。

確かに、PS4などにも実名をリクエストするという項目がある。だが、これは普段からの顔見知り同士が行うためものとばかり思っていた。

今後ゲーム以外で顔を合わせることも無いだろう相手の本名を聞いていったいどうしようというのだろうか。そして、こちらとしても万が一個人情報がリークする可能性があるため基本的に教えることは無いのだが…

しかし、彼らにしてみれば、何か”見知らぬ私の名前を聞きたい理由”があるはずである。

かつて、日本にも、果し合いの時は、互いに名を名乗るのが礼儀という考え方があったようだ。彼らにとって、名を明かすことが相手に対する礼だということなのだろうか。
少し気になったので、フレンドの一人に理由を尋ねてみたところ意外な言葉が返ってきた。

「I am Christian(私はキリスト教徒だ).」
キリスト教圏に人たちにとって、名前というのは神から与えられた唯一無二の個人IDのようなもので、それを明かさないことは相手に対して失礼に映るということもあるのだそう。

現に、聖書の冒頭でも神は、光を昼と名付け、闇を夜と名付けている。

神が名付けることで生まれた世界において、名前はとても重要なものだと考えているようだ。
そして、彼らにしてみれば、自分たちとは違う考え方をする(名前をそれほど神聖視していない)人たちがいることは意外と盲点だったりするみたいだ。

それは、私が彼らから名前を聞かれて怪訝に思ったこととまったくパラレルな関係なのだろう。まあ、それでも今のところ(実際の顔見知りでもない限りは)私はネット上で本名を明かすつもりはない。

匿名性にはいろいろと問題点もあるが、個人的には、現実とは別の世界を楽しむというのがゲームの醍醐味の一つだと考えているからだ。

もちろん、実際に人と人がプレーするものであれば、最低限のマナーが必要なのはいうまでもない。

そして、同じゲームをプレイしていても、そこには言葉の違いだけでなく、文化や宗教に根ざした様々な考え方をもつプレイヤーたちが集っているのだということは、あらかじめ認識しておいた方が良さそうである。

それでは、また次回。