オンラインゲームが全盛の現在、ゲームを通して他人とつながることはもはや当たり前のことになりつつある。
ただ、私はこの風潮が好きではない。
ゲームは、基本的に一人部屋にこもって黙々と楽しむものだと考えるからだ。
女優の淡路恵子さんは、生前、大のドラクエマニアとして有名だった。
そんな淡路さんも、ドラクエ10がオンラインで他人とつながることを前提に作られたことには激怒したという。
彼女もまた、ゲームは一人で楽しむもので、大好きなゲームで見ず知らずの他人とつながるなんて真っ平というタイプだったようである。
そのため、同じくRPG2大巨頭ともいえるファイナルファンタジーの方は、主人公がしゃべるようになったという理由でプレイしなくなったとか。
あくまで、自分が勇者であり主人公。
だから、自分と違う他人として主人公にしゃべられては作品世界に没入することができない。僭越ながら、私にもこの感覚は理解できる気がする。
ましてや昨今は、ゲーム内でも(半ば強制的に)あたかも現実の写し絵のように常に他人の存在を意識させられ、あまつさえ協調あるいは時に競い合うことすら求められる。
しかも、匿名性を傘に、モラルやマナーなどそっちのけで非人道的なふるまいをするプレイヤーが横行するのだから、尚更たちが悪い。
コンテンツそのもののクオリティーの低さを、人間の射幸心をあおるような仕組みで誤魔化すなどふとどき千万もいいところである。いつからゲーム業界は拝金主義になり下がってしまったのだろうか。
かつてゲームは一人で楽しむことが当たり前だった時代、ゲームのクオリティは今よりも格段に高かったように思う。
もちろん、これはグラフィックやエフェクトなどの話ではない。
製作者側のこだわりと作品への愛が感じられたという意味においてだ。
およそ、ストーリーとは関係のない無駄なこだわりが随所にちりばめられており、それを探すだけで楽しかった。そのような作品群には、ゲーム史に刻まれた記憶に残る名作として、今でも語り継がれるものも少なくない。
今、日本で制作されているゲームの中で、果たしてどれだけの作品がそのような作品と肩をならべて後世に語り継がれるものになりうるだろうか。
むしろ現在では、国産のゲームよりも海外メーカーのゲームに驚かされることが多い。
オープンワールドのゲームを筆頭に、グラフィック、ストーリー、モブやNPCなどのディティールに至るまで、ゲーム史上類をみないレベルでの作りこみに圧倒されることもしばしばである。
一方、国産のゲームはというと、コンシューマー向けからスマホやタブレット向けのゲームに移行してきており、お世辞にもクオリティの高いゲームが作られているとはいえない。
作品の水準だけで言えば、完全に海外のゲームに白旗状態だ。
かつてゲーム先進国だった日本が、今ではゲームのクオリティで完全に海外に負けているという現状は、日本人としてとても悲しい。
予算の問題もあるのだろうが、低コストで制作し、いかにユーザーを煽って課金させるかばかりを考えているとこのまま海外のメーカーにどんどん溝を開けられてしまうのではないかと心配だ。
もし、莫大な予算をかけ、圧倒的なクオリティとグラフィック、そして製作者の作品への愛が感じられるゲームであれば、私はそれに1万支払っても構わないとさえ思っている。
私に言わせれば、基本無料とうたいつつ、チマチマと事実上エンドレスに課金させるシステムは、ゲーマーを侮辱している。詐欺とまではいわないが、徐々に麻薬付けにするような悪どさを感じてしまうのだ。
例え高額でも、初期投資を済ませればあとは思う存分ゲームの世界に浸ることが出来る。
そして、誰もが自分だけのストーリーを紡ぐことが出来る。
国産のゲームメーカーにはぜひ、高らかにこう宣言してほしいのだ。
「このゲームは確かに高い。だけど、絶対にあなたを満足させる自信がある!」と。
重ねていうが、私は、現在、すっかり主流となりつつある他人との競争心を煽ることで課金を促す様なゲームデザインは下品極まりないものだと思っている。そこには必ず勝者と敗者が生まれ、必ず誰かは不幸になってしまう。
プレイヤーの誰もがハッピーに満足を得られることがゲームのすばらしさではなかったのか。
もちろん、対戦型のゲームを批判する気はない。
それはそれで、そういった競技性の高いジャンルのゲームを楽しみたいゲーマーもいるだろう。
だが、RPGなど特定のジャンルのゲームは、ぜひ一人で楽しむことのできる作品であることに誇りとこだわりをもって制作してほしい。
無論、ビジネスとして考えれば、目先の金が大事なのは分かる。
だが、低コストで収益を上げるゲームデザインは、長期的にはゲームそのものの質の低下をまねき、その結果、ゲーム制作者自身の首を絞めることになるのではないか。そして、それはさらなるゲームの質の低下を招くという悪循環につながる可能性が高い。
だからこそ、日本の各ゲームメーカーには、ぜひ、ここで一念発起し、細部にまでこだわりぬいた作品を世に送り出してほしいのだ。
ゲームはスマホ片手にやるようなただの暇つぶしではなく、部屋で楽しむ一級品のエンターテイメント。
いつかそんな風潮が当たり前になるなら、それは、まさにゲーマー冥利に尽きるというものである。
それでは、また次回。