「友達なんかいなくていいんだよ。」
ある番組でのタモリさんの発言で気になった言葉。
限られた番組尺の中で、友達に関して、彼が発したのはその一言だけ。
特に講釈を垂れたり、理由を説明することは無かった。
だから、私なりにどういうことだと、考える必要があったのだ。
そもそも友達って何だろう?
多くの人が当たり前のように使う言葉だが、そのはっきりした定義というか共通認識のようなものって意外と曖昧な気がする。
“親友”という言葉にしたって、使っている人によって意味が全然違っていたりする。
私から見たら、それ全然親友ちゃうやんっていう親友の形も多い。
それでも本人がそれを親友と思っているのだから、私がどうこう言える話ではないのだけれど。
タモリさんは、ヨルタモリというという番組でこのようなことも言っていた。
「友人なんて、いなくてもいいんだ。友人なんていなくても全然やっていける。何をもって友人と定義するかだ。パーッと騒いで、お喋りするぐらいの仲をそう言うのなら、俺にも友人は数えきれないくらいいる。」
おそらく、タモリ氏にとって数えきれないくらいいる存在を友達と考えている人も多いのではないだろうか。
あれだけ、様々なジャンルの著名人たちとトークを繰り広げてきたタモリ氏であれば、その場を盛り上げるだけの会話をすることなどわけないだろう。
それで、自分も相手も何となく楽しい気分にもなる。
だが、それは友達同士での会話ではないのだ。少なくとも、タモリ氏にとっては。
人は、誰しも多かれ少なかれ孤独感や寂しさを抱えているものだと思う。
なぜならば、それはお互いに完全に理解し合うことなどできないからだ。
自分と他者との間に立ちはだかる超えられない壁のようなものを感じたとき
人は、「ああ、自分はどこまで行ってもひとりなんだな。」と感じる。
人によっては、そのことがたまらなく寂しくさえあるのだろう。
だが、それが嫌で無理に分かり合おうとすると、そこに齟齬や軋轢が生じ、諍いや憎しみが生まれる。
なぜ分かり合えないのという怒りや失望がとめどなく湧いてくる。
そして、また孤独の色が深くなっていく。
タモリ氏は、おそらくその不毛さに人生のかなり早い段階で気づいたのではないか。
あの、どこか飄々としていて、無理に相手に深入りせず、会話が途切れたのならその沈黙さえも楽しんでやろうというようなスタンスからは、寂しさや孤独を引き受けた人間特有の余裕のようなものを感じる。
あるいは、あれだけたくさんの人と話をしても、
結局、分かり合える相手、友人と呼べるような相手は滅多にいないのだなと、しみじみと感じていたのかもしれない。
そう思うと、誰よりも多くの人と語り合った大先輩の言葉としてものすごく重く、ズンと臓腑にまで響いてくる。
真の友人とは孤独という橋の先でしか出会えない
友人なんて無理に作ろうとしなくてもいい。
というか、作為的に作れるようなものではない。
意識しなくても、孤独な道を歩んでいった先に必ず然るべき出会いがある。
孤独な道とは、生きることの寂しさから逃げず、それを糧に自分を鍛えていくような生き方のことだ。
孤独を忌み嫌い、避けようとする人間同士の関係は、どうしてもいびつになりやすい。
互いに依存し、寂しさを紛らわそうとするあまり、時に過度に気をつかったり、無理に相手を支配しようとしてしまう。
それでは、友達ではなく、ただの利害関係人が増えてしまうだけだ。
孤独を引き受け、その中で自分を鍛えてきた人どうしが出会うと、多くを語らなくてもお互いどこか通じ合うものを感じるようだ。
(ああ、あなたもあの橋を越えてきたのですね。)
それは、まるで同じ戦場を生き抜いてきた戦士たちが感じる深い絆のようなものに違いない。
友達作りに精を出すのもいいが、まずは厳しくも温かい孤独を引き受けてみてはどうだろう。その道は厳しいが、向かう先には、実り多きさまざまな出会いが待っているはずだ。
「友達なんかいなくてもいいんだよ。」
一人でいるだけでまるで最低の人間であるかのようにみられる現代において、
「ひとりでいいんだよ。ひとりって最高なんだよ。」というタモリ氏の言葉は心強い福音にほかならない。
生きることは寂しいこと
若者たちを中心に、SNSやブログなどで友人同士で盛り上がる様子をアップしているものを見かける。そこだけみると、いかにも楽しそうに見える。
だが、それは一瞬を切り取ったイメージでしかない。
数人でカメラに映り、笑顔を作ってはいるが、彼らがその瞬間を心の底から楽しめているかどうかは本人にしか分からない。
顔で笑って心で泣いて。
案外そんな人も多いのではないだろうか。
にも関わらず、表面的なイメージだけをとらえて、
みんなあんなに楽しそうに笑っている。
あんなに友達に囲まれてうらやましい。なのに自分は…。
などと落ち込んでみたりする。
以前、ある番組でスマップの中居正広が、タモリ氏に対して
「寂しいと感じることはあるか」と尋ねたことがあった。
その時、タモリ氏は、
「寂しい時があるかって聞かれたら、いつだって寂しいんじゃないの?」と答えていた。
生きることは寂しい。
そしてそれがデフォルト。極めて正常な状態だ。
そう思うと、どこかホッとする自分がいる。
最後に、アメリカの小説家ピート・ハミルの言葉を紹介させていただきたい。
自分の孤独の時間を
自分できっちりできないような人には、
他人を愛する資格はないと思う。
一人で生きていくことができて初めて、
人を抑圧することなく
愛せるんだと考えている。
- ピート・ハミル -
(米国のジャーナリスト、コラムニスト、小説家 / 1935~) Wikipedia
あなたが”ひとり”で過ごす時間が実り多きものであらんことを。
それでは、また次回。