ミニマリストはじめました。

シンプルライフ

最近、“ミニマリスト”というワードが自分のアンテナに引っかかっている。

ミニマリストとは、簡単に言うと、”必要のないものは持たない人”のこと。
きっかけは、日ごろのズボラがたたり、部屋の中が物で溢れかえってしまったからであった。
そこで、やむにやまれず季節柄にもなく大掃除をすることにしたのだが、今回は思い切っていま必要ないものは全部処分してみることにした。

最近の流行でいえば、いわゆる断捨離を決行してみたわけである。

 

断捨離を決行してみて感じたこと

 

とりかかる前は、物がなくなって惜しむ気持ちが強くなるかとも思っていたが、
意外や意外、モノが無いというのはこれほど快適なのかと驚いた次第である。

まず、単純に部屋が広くなる。
今まで部屋を占拠していたモノがなくなるのだから当然だ。
そして、モノが少なくなると、物理的な面だけでなく心も軽くなるような気がしている。

理由はよく分からなないのだが、
仮に部屋と私を1セットでパソコンのように考えたなら、容量パンパンで処理落ちしていたのが、不要なプログラムをごっそり削除したことで快適になったということなのかもしれない。

あとは、単純にモノが多いことが私にとってはストレスだったのかもしれないし、
もしかしたら、古いものからは悪い気が出ているということもあるかもしれない(笑

なぜ人はミニマリストへと変貌を遂げるのか

 

ミニマリストというと、モノが少ないという物理的な面だけが注目されがちだが、私が興味を惹かれるのはそれよりもむしろそれに至る内面の変化だ。

特に、それまで物欲にまみれていた人がミニマリストへと宗旨替えする過程を想像するのが興味深い。

人は、誰しも、
「アレが欲しい」、「あれを手に入れたら最高にハッピーだろう」
と一度は夢想するものだ。

そして、実際それを手に入れてみて、一瞬は確かに満足感をおぼえるだろうが、
その後またすぐに、次の「アレが欲しい」が始まる。

この連鎖にはおそらくキリがない。

欲望を追求した先には決して満足という終着駅はないのだろう。
ある時点でそのことにふと思い至った人が、おそらくミニマリトへと変貌を遂げる。

欲望を追求する道ではなく、欲望をコントロールし、やがては物欲から限りなく解放されることを目指して。

物欲の追求に終わりはない

 

世界には、所有しようと思えば、到底個人では集めきれないほどのモノがあふれている。
仮に物欲の終着点があったとして、それが世界中のモノの収集をコンプリートすることだとしたら、それは限りなく不可能なことだ。

少なくとも、人類史上いかなる権力者もそれを成し遂げた人物はいないし、おそらく今後もあらわれることがないだろう。

つまり、物欲の追求は100%不満足な結果で終わる
重ねて言うが、モノの追求に終わりはないからだ。

一方で、モノを捨てていくという過程はどうか。

当たり前だが、世界にあふれかえるモノに比べれば、個人の所有物などたかがしてている。

それは、これから手に入れることを目論んでいるものを含めたところで同じことだ。
そのように単純に考えても、所有物を増やすことで満足へと至る道より
モノへの執着を減らしていくミニマリストへの道の方が遥かに踏破は容易だといえはいしないか。少なくとも、間違いなくお財布には優しい。

アップル創業者スティーブ・ジョブズ氏もミニマリストだった!?

アップルの創業者として有名な今は亡きスティーブ・ジョブズ氏も実はミニマリストとして有名。

そのこだわりは徹底しており、すでに億万長者であったにもかかわらず、不要なものを部屋に置きたくないあまり、引っ越し先の部屋に家具一つ置かず、しばらくフローリングに座って生活していたほどらしい。

 

物欲を刺激しまくる、あれだけ最先端のデバイスを生み出し続けていた彼が物への執着が薄かったという事実は興味深い。

推定70億円ともいわれる彼の資産をもってすれば、間違いなく現代における”物欲を追求する道”のトップランナーの一人になれたことだろう。

ただ、アップル製品の優雅でシンプルな洗練されたデザインは、そんなジョブズ氏の妥協なき思想を多分に反映していたことは間違いない。

“自分が気に入らないものは、たとえ生活が不便になったとしても一切自分の周りに置きたくない。”

彼は、逆の意味で彼のモノへのこだわりがすごかったのだ。

ということは、アップル信者には潜在的にミニマリストとしての素養があるということか・・・というのはさすがに飛躍しすぎか(笑

ただ、私個人もアップルの製品には、ほかのメーカーのものとは違う親しみを感じていたのもまた事実で、それは、もしかしたら、ジョブズ氏のミニマリストとしての精神性に深いところで共鳴を覚えていたからなのかもしれない。

おわりに

 

ただっぴろい部屋に机がひとつ。

マスコミで取り上げられるミニマリストは、どうしても変わり者や変人の類として取り扱われることが多い。

まあ、一般的な感覚のままそのような生活をするのは不便この上ないし、ある意味では無理のないことだ。

しかし、ミニマリストとして生活することは、決してストイックなことではない

徐々にモノへの執着を減らしていく過程を楽しむのがミニマリストへと至る道の醍醐味だと思うし、ペースは人それぞれでいい。それは、誰でも自分のペースと体力に合わせてジョギングを楽しむことができるのと一緒だ。しんどくなったら、いったん休んでまた走り出せば何の問題もない。

その結果、マスコミで取り上げられるような究極系に自然とたどり着けたら素晴らしいことだし、そうならなくても物欲と上手につきあっていけるようになったら、それはその人なりの立派なミニマリスト生活なのだと思う。

それでは、また次回。