ポケモンGOにハマっている人たちをみて感じた違和感の正体

ゲーム


世間では、老若男女問わず、ただいま“ポケモンGo”がバズっている模様。
終末週末には、歴史のある日本庭園に、スマホ片手に人々が群がるという異様な光景が見られた。

ネット上では、ツイッターの投稿を元にポケモンの出現情報をまとめた地図まで作られ、情報が発信されるや否や、どこからともなくスマホを抱えた人々が群がってくるという…ってこれはホラーか何かですか?

私自体は、今のところ何となく違和感があって手を出していない。
外に出たら…折角、気持ちのいい風が吹いているのだから、その風の匂いを感じたいし、草木の変化や、鳥や虫たちの声にだって耳を澄ませたい。
たまには、ただぼんやりと雲を眺めたりしたい。

そんなところから、新しい着想やアイディアが湧いて出たりする、とか言ってみたい(笑
だから外出する度に、絶えずスマホを気にし続けるなんて気にはちょっとなれない。
以下では、私が疑問を感じたトピックについて私見を交えながらいくつか取り上げてみることにしよう。

親子の会話が弾むようになったという話

 

ポケモンGOを取り扱ったあるニュース番組で、大学生の息子と父親がそろって登場し、「親子の会話が数むようになった!」と喜んでいた。

そりゃあ、まあ、盛り上がるんでしょうね、「○○捕まえるには、こうするといいよb」とか何とか。

でも、親子の会話ってそんなんでいいのだろうか。

それって、大人同士がする会話?

私もそんなに得意じゃないけど、親子の会話って、普段悩んでいることとか、ずっと大切にしてきた想いとか、普段、人生について考えていることとかを、ちょっと頑張って、互いの理解を深めるために腹を割って語り合うような貴重な体験だと思っていたんだけどなぁ…。

結局、自分たちの個性がほとんど介在しないゲームの話で何時間盛り上がったところで、親子どうしが理解し合えたり、絆が深まるということには、ならないんじゃないだろうか。

もし、通夜の席で
「お父さん…最後までミューツー捕まえたがってたなあ…」とか思い出すのだとしたら、だいぶ薄ら寒いものを感じる。

ネトゲの絆が示唆すること

ゲームの話でいうと、ゲームで絆をはぐくむ究極系はいわゆる”ネトゲ”だろう。

しかし、その絆や友情だって実際は、ペラッペラの紙切れ同然だ。

ネトゲ廃人と呼ばれるヘビーユーザーたちは、現実の世界で親しいプレイヤー(実際は直接会ったことも無い)が事故に遭ったり、ケガをしても

「ふ~ん、それはお気の毒に…さ、新しい仲間とゲームしよ。」的な反応をするだろう。
それは、お互いにゲームを通した結びつきでしかないからだ。

それがいかに脆弱なものであるかは容易に想像がつく。
どうせ、人とのつながりを作るなら、楽しい時に一緒に盛り上がれるのもいいけど、互いに困っているとき、ピンチの時にこそ助け合えるような関係性でなければ。

そうでなければ、なんだか味気ないというか、あまり魅力を感じない。
そして、そういうのってゲームを通して育まれるんですかね?ちょっと疑問。

ひきこもりが外に出るから万々歳だと?

「何にせよ、ひきこもりが外に出るのはいいことだ、ワッハッハ~」
とかなんとか、トンデモな発言をしている方もいらっしゃったようだが、外に出ても、やってることは、ゲームですよ?

誤解のないように言っておくと、私はゲームそのものをディスるつもりは全くない。
ただ、どうして、部屋の中でゲームすることは不健康で、外ならOKなのだろうかと疑問に感じたのだ。

え?お日様の光が照らしているから?
お巡りさんが見てるから安心?んなバカな(笑

そもそも、部屋の中にいるより外に出ることを良しとする発想って、リスクを冒してでも、未知の世界に飛び込む勇気であったり、知らない人に合う緊張感だったり、そういう、“自分の殻を破る的“な成長につながるような行為に対する賛美が根底にあるように思う。

外でゲームをすれば、自分の殻が破れますか?
それは、本当に成長につながるような意味のある外出なのですか?
外であろうと、部屋の中であろうと、やってることは結局同じ”ゲーム”ですよ?

スマホという”色眼鏡”で世界を見ている感覚

おそらく、ポケモンGoの成功に味を占めた開発者たちは、今後もこの手のゲームを開発し続けるだろう。

まあ、命にかかわるようなトラブルや、社会的な事件が起きて、法的な規制でもかけられない限りは。

そうなると、ますます人々はスマホ片手に外出するようになる…いや違うな、彼らにとっては、外の世界もゲームの中の世界の一部になっていく。

彼らにとっては、ゲームにとって関係のない情報は遮断され、ゲームのルールにさえ抵触しなければ、モラルなんてお構いなし…ということになる可能性も否定はできない。

洗脳…というと大げさだけど、ゲームという色眼鏡を通して、世界を見続けていると、徐々に感覚がマヒしていくというか、大切なものを見落とすことが多くなっていくような気がして怖さを感じる。

現時点でのまとまりきらないまとめ

現時点では、このゲームに関して、既に気心の知れた友人どうしで盛り上がったり、父親が家族サービスとして休日に子供と連れ立って遊びにでかけるというなら、まあ、いいんじゃないの?というのが率直な感想。とりあえず、ルールを守って、交通の妨げとか、トラブルの発信源になりさえしなければ。

あと、これは感覚的なことなのかもしれないけれど、世界というフィールドがバ~ンと広がっているのに、みんなそれを眺めることもせず、ちっこいスマホの画面に目を落とし続けているっていう絵づらにどうも違和感がぬぐえないんだよね・・・。

 

今後VRとかが進んで、みんなゴーグル型端末で視認するようになれば…いやそれもなんか不気味だな。

文字どおり、自分と見知らぬ隣人とでは見ているセカイが全く違うということだってあり得るだろうから。

ただ、リアルとゲームの融合というコンセプトは今後のゲーム業界でキーコンセプトのひとつになることは間違いないだろう。

まあ、ポケモンGoに関しては、今のところは特に大きなトラブルもなく、日本人はモラルをもってプレイしているようなので、今後どうなるか経過を静観したいと思いますデス。

それでは、また。