【Fate】 稀有な主人公"衛宮士郎"

どのような作品にも、必ず主人公と呼ばれる人物が登場する。

そして、時として、その中に稀有な魅力を持つキャラクターが現れるものだ。
私にとって、フェイトの主人公である衛宮士郎(えみや しろう)はまさにそのような魅力を感じさせてくれる存在だ。

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彼の行動原理は、”正義の味方になって、目に映るすべての人を救いたいという、この手のアニメでは月並みなもの。

この、いかにも子供じみた理想の前には、当然のごとく、現実の壁が立ちはだかる。

…全てを救うことなどできない。
…誰かを救うということは、誰かを見捨てるということと同義だ。

理想を挫く障壁が次々と目の前に現れるとき、
それはその人物の決意と覚悟が試されるときでもある。

もちろん、アニメは現実の写し鏡である必要はない。

だから、現実を無視して超人的な力で理想を実現させることもやろうと思えば可能だ。

だが、それでは、見ているものは納得しない。
現実を無視し始めた瞬間、その作品の価値は地に落ちてしまう。

私を含めた見る側の人間が求めているのは、
現実という越えがたい壁を前にして、それでも理想を曲げず立ち向かっていく姿なのだ。

もし、立ちはだかる壁をいとも簡単に魔法で破壊できるのなら
それはただのギャグでしかない。

非現実的な要素は当然あっていい。
それこそが、アニメの魅力であり自由さなのだと思う。

しかし、それはその世界の理や不条理を破壊できるような法外なものであってはならない。
有限な存在だからこそ、そこに自分を投影し、共感することができるのだ。

少々脱線してしまったが、話を”衛宮士郎”に戻そう。
彼は、当初、能力的には決して突出したものを持たない、どちらかといえば平凡なキャラクターとして描かれている。
セイバーやランサーなどのサーヴァントとの比較ではもちろんのこと、共に戦う遠坂凛らと比べても、魔術師としてはいかにも半人前だ。

だが、彼の非凡さは、その”あり方”の方にある。

まず、特出すべきは、その異常ともいえる”利他性”だ。
日常生活での頼まれごとを嫌な顔ひとつせず引き受けるのはもちろん、
戦闘となれば、勝ち目のない相手を前にしても怯むことなく仲間を庇(かば)いにいく。
「腕一本無くなって、○○が助かるなら、○○の命を優先するのは当然だ。」と躊躇なく言ってのけるような少年なのだ。

ひとりでなんでも解決できるような超人的な主人公がそれをやるならいい。
だが、一人では敵を倒すことさえできない彼がそれをやるのだから、危なっかしくて見ていられない。

それでも、彼のあり方は、まさにヒーローそのものだ。
誰もが無理だとあきらめる局面でも決してあきらめず、最後まで挑み続ける。
自分の命を犠牲にしてでも、他者を救おうとする。

本来、非力な者がこのような行いをすると、その無鉄砲さに苛立ちを覚えるものだが、
それを感じさせず、むしろ潔さ、”清々しさ”さえ感じさせるのは、彼自身が自分を過信することなく己が非力さを自覚した上でそのような行動に出ていることと、また、彼が徹底した利他性を身に着けるに至った経緯の描き方が丁寧であるためだろう。

彼の目標であった父、衛宮切嗣(えみやきりつぐ)も、守護者となったアーチャーも、かつては彼と同じ理想を抱いていた。

だが、いずれも残酷な現実を前に歩みを止め、やがて、その理想は歪んだ形へと変化してしまった。

彼らがたどり着けなかった理想のその先へと衛宮士郎ならば、あるいは届くのでないか。
かつて抱いた理想が、嘘で塗り固められた夢物語などではないと、その歩みを通して証明してくれるのではないか…。

決してブレることのないその姿勢と眼差しには、そう思わせるだけの力がある。