先日、俳優の榎木孝明さんが30日間の不食に挑戦し、見事成功させたことで話題となりました。
30日間も何も口にしなかったのだから、さぞ空腹感に苦しんだだろうと思いきや、不食期間中、おなかは鳴ったが食欲は感じなかったといいます。また、うなぎの蒲焼きの匂いを嗅いでも、「食べたいとは思わなかった」などの発言もありました。
不食のきっかけは、榎木さんは20代から続けているインドを中心にした一人旅がそのルーツだそうで、飲まず食わずで帰国すると、いつも体調が良くなっていることに着目したといいます。
でも、それって断食じゃないの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、何も食べない、口にしないという点では、不食と断食は共通する面を持っています。
不食と断食の違い
まず、不食と断食とでは、”意識の違い“が大きいように思います。
断食は、あくまで人は”食べなければ生きられない”という意識が先にあります。それは、最終的にもとの食生活に戻ることを前提に短期間食事を絶つことであり、どちらかというと修行や苦行と呼ばれるものに近いでしょう。
実際に、僧侶の修行でも、食事を絶つことは最も苦しい修行の一つに数えられているという話を聞いたことがあります。
そのため、断食の実践者は数日から長くても1週間程度の期間を過ぎると、断食をやめて徐々にもとの食生活へと戻っていきます。
一般的には、断食は、体調を良くするため、あるいは病気の改善などを目的として行われることが多いようです。
一方で、不食はというと、まず、”人は食べなくても生きていける”という信念が先にあります。これが断食と根本的に異なる点で、食べないことは、修行でも苦行でもなく、単なる習慣、”慣れ”によるものだとみなします。
それは、例えるならば、マラソンランナーが走る距離を伸ばしながら徐々に持久力を高めていくように、不食の実践者は、食べる量を少しずつ減らしながら、徐々に体を食べないことに慣らしていくのです。
不食とは、必ずしも食べないことではない
不食というと、全くものを食べないことだと誤解されがちですが、実はちょっと違います。
不食とは、正確には、”食べても食べなくてもよい“状態を目指すことです。
世間の常識では、人は食べなくてならないとされています。つまり食べることは必要なことであり、そこに食べないという選択はありません。
一方で、不食者は、食べることをまるで趣味や娯楽のひとつのように考えています。
食べたければ食べてもよいし、食べたくなければ食べなくてよい。
彼らは、食べることをテレビゲームや、映画鑑賞、読書などと全く同じ感覚でとらえているようです。
なぜ飢餓が起こるのか
人は食べなくても生きていける。
もし、不食者たちがいうようにこれが真実だとしたら、では、なぜ世界から飢餓や餓死が無くならないのでしょうか。
彼らいわく、それは食べなければ死んでしまうという恐怖によるものだといいます。
同じ病気でも、楽観的な患者は快方に向かい、悲観的で、病気で死に至る恐怖に日夜さいなまれている患者は実際に早期に亡くなってしまうということが事例として報告されていますが、飢餓の原因もこのような恐怖心によるものだというのです。
もし、それが事実なら、不食は世界を救う切り札になるかもしれません。
おわりに
冒頭でもご紹介した榎木さんですが、
フェイスブックに次のような投稿をなさっています。
東京でもし直下型の大地震が起きエレベーターに閉じ込められた時、あなたは自分が何日生き延びる自信がありますか?(中略)万が一閉じ込められた時、食べられない事よりももっと辛いのは閉所恐怖と暗闇と助からないかもと思う絶望感でしょうが、もし人は食べなくても生きられるとの思いが自分にあれば、強い精神力と勇気に結びつくことでしょう。つい最近もネパールの地震で一週間後に助けられた少年の奇跡が報道されていましたが、地下鉄からでもエレベーターからでも数週間やひと月の奇跡の生還は可能だと思います。あなたはそんなことが出来る自分を信じてあげることができますか?あなたがまだ気づいていないだけで人間には無限の可能性があると思います。安心感を得るために小さなペットボトルと数個の飴玉をいつもバックに入れておくことをお勧めしています。(榎木孝明さんFacebookページより 2015/06/17 23:53)
このような発言をみても、”食べなくても大丈夫”という不食は平時はもちろん、災害時などに大きな安心感を与えてくれるものだと感じます。
完全な不食は無理でも、少しずつ食べる量を減らすことを楽しみながら実践しておくと、いざというときに大きな心の支えになるかもしれませんね。
お読みいただきありがとうございました。
それでは、また。