好き嫌いはなぜあるんだろう。
あ、これは食べ物の話です。
たとえば、毒のある食べ物が嫌いとかなら理解できる。
それは体にとって危険だから避けているというシンプルな説明ができるからだ。
皆一律に毒キノコとが嫌いでとかね。
しかし、栄養だとか、体にいいだとか悪いだとか、そういうことを超えて好き嫌いは人類に蔓延している…気がする。
例えば、私はレバーが大の苦手だ。
鉄分が豊富に含まれるなど、栄養満点なのは分かっている。でもあの独特の風味がどうも好きになれない。
「今日のおかずはレバニラね。苦情はいっさい受け付けませ~ん。」
子供の頃は、そんな料理番(母)の宣言があった日にはいつもブルーな気分になっていた。
レバーに目がない知人からは、
「それは、美味しいレバーを食べたことがないからだよ。」と言われる。
好き嫌いは遺伝的要因?
食べ物の好き嫌いは、遺伝子レベルである程度決まっているという説がある。
じゃあ、栄養満点のレバーが嫌いな私はグール欠陥人間ってことですかね?
確かに、そうなのかなとも思うけど、これを知ったところで、ちょっとどうしようもないしねえ。
人類の多様性担保のため?
人類はいかなる環境においても全滅を逃れるために、多様性を担保しようとするらしい。
だとすると、味覚の違いも、将来、人類が、食糧難や、毒のある食べ物を食べて生きていかなければならないといったような、極端な偏食を強いられる環境に置かれたときに生き延びられるための保険みたいなものだという考えることができるかもしれない。
レバーはダメだけど、フグはそのままでも結構イケますよ…的な?
ちなみに、コアラはユウカリの葉を主食にしてるけど、もともとユウカリの葉には毒があって、コアラが一日の大半を寝て過ごすのはその解毒のためだそうな…まあ、種の保存のために日がな寝て過ごすのも悪くないですかね。
イメージが好き嫌いをつくってる?
それでも、イマイチ判然としない好き嫌いのこと。
スイカは食べられないけどスイカバーは好きとか、トウモロコシは嫌いだけど、ガリガリ君コーンポタージュ味はいいね!とか。よく分からないけど…これって絶対人類どうのこうのじゃないでしょ。
例えば、家の父はまさにスイカが食べられないのだけど、それは幼少期に、近所で飼われてた家畜の豚がスイカを貪ってた様子を見てショックが大きかったのだそう。それ以来、スイカを見るたびにあの豚さんの顔が浮かんで食べられなくなったと。
確かに、私もスイカを見ると、小さいころ虫かごで飼っていたカブトムシを思い浮かべてしまうということはあるかもしれない。といっても、スイカは大好きですけどね。
ちなみに、いらぬお節介を焼くでおなじみのレバーに目がない例の知人男性も、レバニラと一緒に頼んだ醤油ラーメンに虫が入っていて、それ以来、醤油ラーメンが食べられなくなったらしい(塩ラーメンはまだイケるとは言ってましたけど)。
まとめ
今回は、食べ物の好き嫌いについてちょっとだけ考えてみました。
遺伝的とか生物学的にとか言われてもイマイチ、ピンとこないんだけれど、
実はさ…ってな感じで、どうして、その食べ物が嫌いになったのかエピソードを聞かせてもらうのは結構楽しいかもしれない…とかなんとか思った次第であります。
それでは、また。