馬にまつわることわざのひとつに
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
というものがあるらしい。
英語表記では「You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.」と書くのだそう。
毎回、ことわざの話になると、よく全然違う国なのに、登場する動物だとかシチュエーションだとかまで、ピンポイントで似てくるもんだよなぁと不思議に思うんだけど…それはともかく。
このことわざ、意味的には、
馬を水辺に連れていくことはできるけど、
「今、水飲みたくねえ!〇カ・コーラがいい!」
と馬が拒否すれば、誰も馬に水を飲ませることまではできないってこと。
翻って、他者に対して、(何らかの意図や思惑をもって)機会を与えたり、状況を整えたり、試練を与えたりというお膳立てはできても、それを利用するかどうかはあくまで本人の意思次第ということを意味している。
私の理解が合っていれば、多分そんな感じ。
コレがスポーツの世界なんかだと、
「いくらコーチがハッパをかけても、選手にやる気がなければ、上達させることはできない。つまりうまくなるのは選手次第。」
みたいな意味で使われたり、
あるいは、ビジネスの世界でも
「部下をいくら叱咤激励しても、営業成績が伸びるかどうかは部下のやる気次第。」
みたいな使われ方をしたりするのを目にするけど、
それだけじゃなく、コレは日々のありとあらゆる営みの中に当てはまるコトなんじゃないかと。
例えば、ご近所さんと街でバッタリ出会ったら…
笑顔であいさつすることはできるけど、それに対しどう反応するかはその人次第みたいな。
この例えで言うと、相手が自分の挨拶を無視したり、自分に対して愛想のない態度をとったとかの理由で不機嫌になる人もいると思うけど、
ここで、自分が自分の意思で自由にできるのは、
ご近所さんに笑顔で挨拶する
ってとこまでで、その先は自分がコントロールできる範囲外のこと、つまり自分ではどうにもならないことだと理解しておくと、ちょっと気持ちが楽になるんじゃないか、という気がする。まあ、でも無視されたらムッとする気持ち、わかりますけどね(笑)。
他にも、自分が面白いと思う本や映画があったとして、友人に
「オレ的には、これ面白かったよ。」ってことを伝えるのは本人の自由だけど、
それを見るか見ないかはその友人の自由である、みたいな。
ともすると、これって少し寂しいような気もするけど、
馬に無理やり水を飲ませようとしてうまくいかなくて、結局、失望したり、無駄に怒りやストレスをためてる人、あなたの周りにもいませんかね?
「君子の交わりは淡き水の如し」なんてことわざもあるくらいだし、
何事も、ちょっと物足りないくらいがちょうどいいのかもしれない、なんて思った次第。
それでは、また。